関口宏の 風に吹かれて 「東京水路2(後編)”船から見た川と橋の風景” 」

皆さま、長らく本ブログを放置して申し訳ございません。
訪れてくださいまして、どうもありがとうございます。
今年初めてのブログを書きます(もう半分以上今年が終わってしまいましたが)。
本年もよろしくお願いいたします。


さて、表題の番組、「関口宏の 風に吹かれて 『東京水路2(後編)”船から見た川と橋の風景”』」(BS-TBS)を録画で見て、昨年秋に日本橋川神田川をツアーの船で進み、たくさんの橋を堪能したことを思い出した。
前編は見そびれてしまった。見たかったなあ。

「リベットはいい!」と番組中で言ってくださった方もいたし、とひさびさにはてなダイアリーに来てみたら、はてなポイントがほとんどなくなっていた。有料オプションがすべて解除されていて、自分の放置っぷりをあらためて見せつけられた。



 
 
水の上という、歩きでは見られない所から橋を間近に見上げるというのは本当にいいものだ。
以前より近づいてみたかった下路式フィーレンディール橋の豊海橋(1927年、震災復興橋梁(写真上二つ))をはじめ様々な鋼橋で、リベットなどの装飾が大きく迫力ある姿で目に飛び込んでくる。
裏側はこうなってるんだ! とか、橋の名前は片側は漢字でもう一方の側は平仮名で書かれていたりするんだ! とか発見がいろいろある。
分水路や、昔の人が描いた石垣の目印や落書き(?)、日本橋消防署の紅白の消防艇も目にすることができる。
けっこう波が激しかったりもした。あと、秋だからよかったけれど、夏は相当暑いと思う。

昨年秋に参加したツアーで一番心に残ったのは、聖橋(1927年、震災復興橋梁)の真下を通ったことだ。

鉄骨入りの白っぽいコンクリートでできたゆるやかなアーチは、JR東日本御茶ノ水駅から見ていたときの印象よりも遥かに高く丸く大きく、息を呑んだ。
番組で20mの高さと言っていたけれどもっともっとありそうだ。畏怖の念すら覚える。
橋の幅もものすごく太く、荘厳な感じ。
川の両側に生い茂った緑や、駅舎上部の、のっぺりしてなだらかな山型が強調された裏側が見えるのもいい。
子どもの頃に中に入って眠りたいと思っていた(参照:http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20080611/p1)ゆるやかなアーチの上に複数並ぶ黒く細長い小アーチの空洞も、「人が何人入れるの!」というくらい大きくて、これは入れたとしてもおちおち眠れないんじゃないかという印象だった。

番組で、聖橋が、デザインを決めた山田守氏(1894-1966年)の若い頃の作品だと知った。橋の設計者の名前までは知っていても何時頃の作品とまではなかなか思いが及ばないので、面白く感じた。戦後、日本武道館京都タワーを設計したそうだ。


石造りの護岸壁とコンクリートの橋が共存する一ツ橋(1925年(写真下左))、言わずと知れた国の重要文化財日本橋(1911年(写真下右))など、石でできたものにも後々思い出すものが多い。
石造りの橋はくぐるとけっこう低くて、体感として頭の高さぎりぎりだったりもした。石の精緻な積み方に、昔の人はすごいなと思った。
 
 
そして芳文社のビルには、『ひだまりスケッチ』と『魔法少女まどか☆マギカ』の垂れ幕がかかっていた。

今年のリベット 新潟県津南

もうすぐ今年が終わってしまいます。
今年はほとんどブログを書けませんでした。
いらしてくださった方、申し訳ありません。
「今年のリベット」を考えてみました。


夏に大地の芸術祭を見るため新潟県十日町市津南町に行ったときに、津南駅近くにあった信濃川橋です。

上の方に、いわゆる「猫耳」みたいなものがついています!
雪深い地域の、雪対策の一つなのかもしれません。
この季節の田んぼのような鮮やかな黄緑と、欄干の赤のコントラストも印象的でした。
熱中症なのか熱が出て脱水っぽくなったところをパピコにより救われた直後のためか(?)、ものすごくみずみずしく見えました。

横から見たところ。

今年はいろいろありましたが、周りの人たちのお蔭で新たな第一歩も踏み出せた年でした。
ブログを訪れてくださった皆様、どうもありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

再構成の美など 「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」展

過日、山種美術館で「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」展(後期)(2月5日終了)を見た。
奥村土牛《城》等に、(見たもの、認識したものそのままじゃ駄目なんだよなあ。再構成して描かないと)と思う。
《城》は、見上げたときの圧倒される感じが体感できた。また、空のすっきり・くっきりした青と、城の白及び柔らかな灰色のグラデーションから成る幽玄さが併存しているのがあとを引いた。
しかし《城》の青空にある、謎の緑の液垂れは何だ? 烏?


速水御舟《炎舞》も、火の粉など初見(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20101022/p1)と違う所に目が行った。


同じく速水御舟の《白芙蓉》も良かった。図録によると「外側から茶墨の隈をつけて滲んだ墨が自然に胡粉のところで止ま」(カ図録『山種美術館創立45周年記念特別展 ザ・ベスト・オブ・山種コレクション』220頁より引用)っているという、淡く黄みを帯びた透けるような白い花びらに、もっと白い筋が繊細に描かれている。そこに花びらの付け根の滲んだ真紅と金色の雄蕊が加わり絵を引き締めている。
茎や葉、後ろの薔薇は黒と灰色のみで描かれているので、真紅の鮮やかさ・あでやかさが白に対するのと灰色に対するのと二重の意味で際立っていた。


福田平八郎《牡丹》は、画面右下の黒っぽく端のみ赤い、何枚か花弁が抜け落ちている牡丹が何とも妖しげだった。全体的に日蔭かつ霧雨の風景のよう。以前印刷物で見た、モダンで簡素な波の絵(《漣》)とは全く違う細密画だった。
この人もちゃんと描ける力がある上で大胆な省略化やデザイン化をしてるのね、と複雑な思いにとらわれた(笑)。

今年もよろしくお願いいたします   清洲橋


タイトルは、3文字空けておけば「今年もよろしくお願いいたします」が清洲橋に向けられたものでないと認識してもらえるだろうとの考えによるものです。

ツイッターでは時々呟くものの、ブログをほとんど書かなくなって久しいです。
書かねば、書きたいとは思っているのですがずるずる日にちが経ってしまいました。

さすがにもう1月が終わってしまうので、何とか1月のうちに今年の記事一つ目を書いておこうと思います。
お立ち寄りくださった皆様、本当にありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
良い年となりますように(残虐なことの実行を考えていらっしゃる方以外)。

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で、清洲橋関東大震災の復興橋梁として造られた橋の一つで、1928(昭和3)年3月竣工の、三径間自碇式(じていしき)補剛吊橋だ。
尖った山が二つの青く優美な吊橋で、橋灯の緑がかった白い光もよく合っていて、隅田川に架かっている橋の中でも印象的な橋の一つだ。過去にこのブログでも取り上げたことがある(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20080529/p1)。

ちょっと近寄りがたい、『エースをねらえ!』の「お蝶夫人」的な、品が良く気位も高いお嬢様っぽい雰囲気がある。そうとらえてしまう自分の性別に関する意識を何だかなと思いつつこれまで近くで見たことはなかったのだけれど、昨年、ようやく徒歩で渡る機会を得た。全長186.2m、いい散歩だ。
 

全景を見、ひんやりと薄暗い橋の下をくぐり、渡る。そうして初めて、橋脚・橋台がどうなっているかや、塔柱から吊るされた吊鎖(ちょうさ)と主桁が吊材でどう繋がれているかがわかった。当然と言えば当然だが、意外とがっちりしている。橋の中央に行くに従って吊材の長さが長くなっていき、見上げる首が疲れるほど。そして全長にわたり、水平方向にも垂直方向にもリベットが密集しているのだ。日頃不足しているリベット分を一気にチャージした(←何か自分がPasmoか何かのようだが)。

材料、構造形式、工法とも当時の最先端技術だそうで、同時に美しさも実現しているのに圧倒される。






上の方の放物線カーブの下部に穴が空いていた。水が溜まらないように、あるいは、少しでも軽くなるようにだろうか。
また、カーブの鋼材に信号の緑がかった明るい光が映って、差し色みたいだった。橋灯に照らされて、リベットも鋼板も濡れたように艶めかしく光っていた。

橋を清澄白河側に渡り終え、左の方に行くと、甘い匂いが! アンテノールのお菓子工場のようだった。 しかもマドレーヌか何かみたいなものがプラスチックケースに入れられ外に積み上げられているではないか。目だけで味わった。

映画『マイティ・ウクレレ』トークショー

一昨日(12月10日)夜の映画『マイティ・ウクレレ』(トニー・コールマン監督、渋谷のシネマライズ)上映後トークショー(PAITITI(パイティティ)の洞口依子さんと石田英範さん、勝誠二さん)と、
洞口さんと少しお話しできて足がふわふわしたこと、皆既月食のことを今も思い出している。
いい夜だった。


洞口さんは額を全部出して長い髪を高い位置で束ねられ、金の刺繍縁取りがアクセントの黒いジャケットに深い海の色のラメ入り(←スパンコールかも)ミニスカート、黒ストッキングという姿で、格好良く、美しかった。

これまでウクレレを弾かれるのを拝見したときはいわゆるゆるふわ系ファッションが多かった気がするので、新鮮だった。服装が白と青のかわいいウクレレにも合っていらしたし、あとでお話ししたとき近くで拝見すると、もっと綺麗だった。
近くで見る方が美しい、という体験は自分の場合、絵以外ではあまりない。

しかも気さくに温かい言葉をかけていただき、このところちょっと辛いこともあったりして落ち込みがちだった気持ちが一気に上向いて、いい年を迎えよう、と体まで温かくなった気がした。
サインしていただいたDVD(『ウクレレ PAITITI THE MOVIE(パイティティ・ザ・ムービー)』:参照:http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20091118/p1)は一生の宝物だ。

石田さんはシルクハット(←最初『山高帽』と書いてしまいました。お詫びして訂正いたします)と英国国旗柄のチーズィウクレレがとても似合っていらして、トーク全体のムードメーカーという感じだった。

勝さんは恥ずかしながらお名前も存じなかったけれど、ハートウォーミングで自由な芸術家、という印象。


三人とも、ウクレレの歴史と革命を扱う『マイティ・ウクレレ』で多く取り上げられていたハワイアンなウクレレとはまた異なる音楽を奏でていらっしゃること、
ウクレレについて話題にすると人が笑顔になること、
ウクレレは公園で練習していてもサックスなどと違って追い出されないこと、
愛用楽器の入手法、
ウクレレは誰でも入りやすいが壁にもすぐにぶつかりやすい、けれどもそこを乗り越えて楽しんでほしいこと
など、とても和やかにトークが展開された。


映画『けいおん!』でも女子高生バンドがロンドンへの卒業旅行にギターやベースを持って行っていたが、『マイティ・ウクレレ』の観客も結構ウクレレを持って来られていた。

三つのコードだけで弾けるという「スタンドバイミー」で会場が盛り上がったときは、手拍子をとりながら、ウクレレが弾ければなあと心底思った。
洞口さんの言葉にもあった「好きなことをする」ことの大切さも改めて感じた。


映画自体も、元々ポルトガルの方の楽器だったウクレレを入手したハワイの王様が意図的に国民に広めたことや、津軽三味線のように激しいジェイク・シマブクロさんの演奏、101歳でも矍鑠(かくしゃく)として演奏や話をしていらしたビル・タピアさん(先ごろ亡くなられたそうだ)、ともに女子学生であるユダヤ人とアラブ人が一緒に演奏する姿、ウクレレは打楽器にもなることなど、知らないことが沢山出てきた。

帰り道、「依子さんが〜、依子さんが〜」と呟く、酒も飲んでいないのに足取りがふわふわして挙動不審な妻を引率する夫は、さぞかし大変だったのではないかと思う。ごめんなさい。


まだウクレレは買っていないのだけれど、帰宅後、スマホウクレレアプリとウクレレコードのアプリをダウンロードし、トークショーで使われていたC、Am(Aかも)、G7(これもひょっとしたら違うかも)だけは覚えた。
弾きながら小声で「スタンドバイミー」のメロディーを口ずさんでみた。
本物には劣ると思うけれど、でも、楽しかった。

静謐な中での「魂のぶつかりあい」――『百合子、ダスヴィダーニヤ』

明治村の建造物についてはあと一回書きたいと思っているのですが、昨日見た映画が心を離れないので、そちらを先に書きます。ツイッターでのツイートに補足をしています。


昨日、渋谷のユーロスペースで『百合子、ダスヴィダーニヤ』を見た。
ロシア文学者の湯浅芳子(1896年―1990年)が、15歳年上の古代ペルシア語研究者である荒木茂と結婚していた小説家中條百合子(1899年―1951年)と1924(大正13)年に出会ってからの40日が描かれている。
なお、百合子は荒木と離婚し、ロシア留学を含めての芳子との共同生活とその破綻後、文芸評論家でのちに日本共産党書記長・中央委員会委員長となる宮本顕治と再婚した。
百合子は戦後描いた小説で芳子を否定的に描いたが、芳子は反論せず沈黙を守ったそうだ。「しかし、このことは百年ののちに明らかにされていいことだ」(映画パンフレットにある彼女の言葉)とは、何て控えめなのだろう。また、歳をとってからも、生涯で一番好きだったのは百合子だと言っていたという。


予想より遥かに静謐な空気の中での中條(のち宮本)百合子と湯浅芳子荒木茂の「魂のぶつかりあい」にどっぷり浸り、家に帰ってからも、(同性愛と友愛の境目って何なのか。それらの言葉自体あまり意味ないんじゃないか)と考えずにはいられなかった。心情を燃え上がらせていいのかや、性愛や独占欲が含まれていいのか、というのは一つの指標だろうけれどそれで全てぱっきり線引きができるものでもないのでは、と思う。言葉って不自由だな、と感じた。
パンフレットの澁谷知美さんの文によれば、「同性間の親密性を『病気』とする発想は1920年代の通俗性欲学ブームにのって広まりつつあったもの」とのことで、そういえば女学校の生徒間の親密性として珍しくなかった「エス」については、自分も母親から聞いたことあったな、と思い出したのだった。


思いがけず浜野佐知監督の舞台挨拶も聴け(モーニングショーに、毎日のようにいらしているらしい。頭が下がる)、芳子を歴史の波に消えさせない強い意志が感じられて良かった。
別れを予感しながら百合子を愛する凛とした芳子、その時々の自分に正直な行動が周りの人を傷つけるさまが他人事と思えなかった百合子を、菜葉菜さんと一十三十ーさんが好演していた。
芳子目線で描かれた映画なので芳子の独白はあるのだけれど、百合子の独白はないので、手紙や発した言葉以外の彼女の独白も聴きたくなった。

二人を引きあわせる野上弥生子役の洞口依子さんは、(この場面でもう登場終わりかな?)とドキドキしたら何度も再登場されたので本当に嬉しかった。ロケ地は寒かったのでは、と今更してもしょうがない心配を少しした場面もあった。二人を冷静に温かく見守る中に、成り行きを楽しむ感じがごく僅かに醸し出されていたのが印象的。薄紫の唐草模様や黒っぽい着物も似合っていたし、帯締にさりげなく金や赤のさし色が使われていたのも忘れ難い。

「ベイビー」等の台詞に何度もくすっと笑わされた茂役大杉漣さん、吉行和子さん、麻生花帆さんなど主要脇役の方が皆強烈な印象だった。茂はだめさや狡さもあるけれど、百合子に自由に好きなことをさせるし、百合子が迷うだけのチャーミングさもある。百合子の祖母、中條運役の大方斐紗子さんの「〜くなんしょ」という福島弁も沁みた。上手いと思ったら福島出身だそうだ。


また、彩り豊かで百合子の半襟は花模様など人物の個性も窺える着物、中川家住宅(国登録文化財)等の歴史的建造物、自然の緑、一十三十ーさんの歌声よりもクリアな声や太股など、筋以外のところにも大いに五感を刺激された。
パンフレットにはロケ地マップや原作者沢部ひとみさんによる芳子の思い出、菜葉菜さんと一十三十一さんの対談も載っていて、何度も読み返した。


なお、惹かれあっていく芳子と百合子が、福島県の安積・開成山の百合子の祖母宅で向かい合って仕事をする場面、湖のほとりを散歩する場面は特に好きだ。関係性の形を問わず、互いが何らかの愛情を根底にもって刺激し合い、切磋琢磨していけるというのは素晴らしいことだと思う。映画ではあまりそういう感じがしなかったけれど、芳子のも含めて互いのだめさも知った上で、ということだったようだし。それは実生活でも実感することで、クサい言い方になるけれど、一緒に行ってくれた友人や日頃なかなか会えない友人にも感謝することがままある。


ラストでしんみりしてしまった余韻が、一日経っても消えない。
公式サイト:http://yycompany.net/
大阪でも近日上映されるそうだ。

明治村5 その他の印象的な建造物1

こうやって一つずつ挙げていくと、これから1年くらいずっと明治村の記事だけで終わりそうだ。なので、記述を簡略化して、その他の印象的な建造物について書くことにする。

 
・まずは内閣文庫(1911(明治44)年建設、国登録有形文化財、旧所在地 東京都千代田区千代田)。本屋や図書館が好きなわたしからすると、本がある場所というだけでポイント高し。正面中央に並ぶ円柱を見て、アメリカはワシントンD.C.のユニオン駅を思い出した。向こうの方が規模がだいぶ大きいけれど。


 
・呉服座(くれはざ)(1892(明治25)年建設、重要文化財、旧所在地 大阪府池田市西本町)。読み方忘れてた。工事中のため、正面の切妻破風に突き出している太鼓櫓などが見えなくて残念(写真左)。
下土間とその両側の下桟敷が舞台に向かってばーんと伸びる空間は広々としていて、人々が畳の上で芝居を楽しんでいた様子が偲ばれる。舞台には廻り舞台がある(写真右)。ここは尾崎行雄幸徳秋水の政治演説会にも使われたそうだ。


  
・大明寺(だいみょうじ)聖パウロ教会堂(1879(明治12)年建設、国登録有形文化財、旧所在地 長崎県西彼杵郡伊王町)。外観は日本の民家であるところがキリスト教禁制の名残りっぽい(写真左)。
中は天井に交差リブヴォールトを模した「コウモリ天井」が見られるゴシック様式で、聖母マリアが出現するという「ルルドの洞窟」があってびっくり(写真中)。祭壇に描かれたキリストや聖母マリアの絵の周りを、青い文字の平仮名で書かれた祈りの言葉がぐるりと取り囲んでいるのも、インパクトあり(写真右)。