ブリック・レーン・マーケットの極彩色リベット

皆さま、昨年は拙ブログを訪れてくださいまして誠にありがとうございました。

この記事を書き始めたのは数か月前なので、ずいぶん時間がかかってしまいました……。これからも少しずつイギリスや日本のリベットのことなどを書いていきたいと思います。

遅くなり大変恐縮ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします(以下『です・ます』ではなく『~だ』等に文の語調が変わります。ご了承ください)。

===

リベットが好きなのは、第一には何といっても丸リベットの形状に惹かれるからだ。けれども、それが橋や鉄道関係の施設といった、本来行けなかった所に行けるようにしてくれるものに使われていることも大きい。

人がリベットのついた橋を渡ったりリベットで留められた柱や梁に支えられた駅から電車に乗ったりするときには、できれば見ていて胸がぞわぞわするようなぎゅうっと痛むような気持ちにならない状況であってほしい。橋を渡り電車に乗る方々の心や将来に、少しでも明るい光があってほしい。私のエゴだけれども。

 

ところで、ロンドンにはいろいろなマーケット(市場)がある。あまり行けなかったのだが、訪れた所はストール(屋台の出店)がたくさん並んでいて、少なくともロックダウン前までは人で賑わっていた。

もうだいぶ前のこの日は、ロンドンのイースト・エンドにある、ブリック・レーン・マーケット(Brick Lane Market)に行った。途中ペチコート(ペティコート)・レーン・マーケット(Petticoat Lane Market)に寄った。

まずは地下鉄のオルドゲート(Aldgate)駅で降りて、駅の天井の梁や階段裏のリベットを堪能。かなり高い天井をゆるいアーチとトラスから成る梁が支えている。天井が高すぎてリベットが小さく見えるのが、「もっと近くに寄れればなぁ」的な欲求を掻き立てる。梁のゆるいアーチと、階段の手摺りのシャープなデザイン’(けっこう凝ってる)の組み合わせが面白い。

f:id:rvt-aa:20220302003638j:plain

f:id:rvt-aa:20220302003741j:plain

 

階段裏のリベットは、日本ではあまり見かけないものだ。間近で見られて満足。

ペチコート(ペティコート)・レーン・マーケット(Petticoat Lane Market)の辺りは、17世紀にフランスからユグノー教徒が移住してきて、その後19世紀にユダヤ人が来て定住した地域だそうだ。道に屋台がびっしり出ていて、こんな価格で大丈夫なの⁉ というような安い衣類やバッグ等がたくさん売られていた。

f:id:rvt-aa:20220302004426j:plain

寄ったのは短時間。下着としてのペチコート(ペティコート)(スカートやドレスの下に穿くものでスカート形)は見なかったな……。

もっとも、19世紀前半頃より前は、現在のスカートがローブの一部としてペチコート(ペティコート)と呼ばれていたそうだ。

 

なお、ロンドンでは、道を歩いていて目を上げると建物などに通りの名前が表示されている。なくても、しばらく進むとある。これも良いところの一つだ。

何丁目何まで書いてある日本の住居表示も詳しくていい。が、道に迷っても今どこの通りにいるかがわかるロンドン式の方が私は不安にならずに済む。地図アプリのGPSを使った道案内がうまく作動しないときも、今いる通りの名と直交する通りの名とがわかれば目的地への行き方の見当をつけやすい。でも人それぞれだろうな。

 

そうこうするうちにブリック・レーン(Brick Lane)まで来た。下の写真にも通りの名前が表示されているのだがおわかりだろうか?

f:id:rvt-aa:20220303194627j:plain

答え 黄色っぽい建物の2階部分に「BRICK LANE E1」の表示がある。左端の建物にも見切れて不完全ながら「LANE E1」が見える。
E1は住所のPost Code area(区域)。EはEastなので東部1区。郵便番号の前半にも使われる(後半は区域の中のもっと詳細な場所をやはりアルファベットと数字で示す)。

 

f:id:rvt-aa:20220302054047j:plain f:id:rvt-aa:20220302010651j:plain

まずは親切な案内表示の地図で現在地を確認。

街灯の花火みたいな金属細工の装飾は、20世紀の第二次世界大戦後にこの辺にたくさん移住してきたというバングラデシュの人々と関係あるのだろうか。とか、ブリック(Brick)がついているからには昔は煉瓦でも作っていたのかな、などと思いながら進んだ。それにしても混んでいる。渡英して以来はじめてというくらい多くの若者を見て、若者こんなにいたのか! と思った。

屋台では衣料品、雑貨などさまざまな品物や料理が売られ、マイクの前で歌う人、楽器を演奏する人もいて本当ににぎやかだった。茶色い煉瓦の煙突が目立つトゥルーマン醸造所跡(The old Truman Brewery 下の写真)の複数の建物にも食べもの、ヴィンテージの服、アートやアクセサリー、陶器やインテリアなどそれぞれ扱うメイン商品が異なるマーケットがあった。

f:id:rvt-aa:20220303055228j:plain

 

土日あるいはその片方しか開いていないものも多いようなので、営業曜日や時間はあらかじめ調べた方が良さそうだ。行った日も週末だった。私は古地図などを取り扱うお店があったティールームズ・マーケット(Tea Rooms Market)に特に心惹かれた。

f:id:rvt-aa:20220303055600j:plain

 

案内表示もラブリーだ。

 

 

正直リベットには期待していなかった。でも道を北上して跨線橋(こせんきょう)に来た時次のものが目に飛び込んできたのだ。

f:id:rvt-aa:20200301155222j:plain

これまで見た中では一番の極彩色リベットだ。

跨線橋の壁高欄の黄緑が銀、黒、水色、朱色、黄色、焦茶色などのグラフィティで思い思いに上書きされている。勢いの良さを感じる。でも、たくさんグラフィティを見ている方なら「こんなの地味な方だよ」とおっしゃるかもしれない。

ギンギラ塗料にまみれたリベットや、隣りのリベットと色が異なるリベットは見た記憶がなかったので、吸い寄せられるように間近で眺めた。でも立ち止まるのは困難なので、人の流れを邪魔しないようにしながら壁高欄の前を行ったり来たりした。

f:id:rvt-aa:20220302214231j:plain

そばに寄ると、引きで見ていたのとは違う風景が。太陽に照らされ光るところと陰影もでき、よりリベットがくっきりと際立って見えた。写っていない部分も含めマット、つやつや、ギラギラと質感もさまざまだ。こんな前身頃の服(脳内には昔の『サイボーグ009』の服の形が思い浮かんだ)があったらちょっと着てみたいと思ったのだった。