ブリック・レーン・マーケットの極彩色リベット

皆さま、昨年は拙ブログを訪れてくださいまして誠にありがとうございました。

この記事を書き始めたのは数か月前なので、ずいぶん時間がかかってしまいました……。これからも少しずつイギリスや日本のリベットのことなどを書いていきたいと思います。

遅くなり大変恐縮ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします(以下『です・ます』ではなく『~だ』等に文の語調が変わります。ご了承ください)。

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リベットが好きなのは、第一には何といっても丸リベットの形状に惹かれるからだ。けれども、それが橋や鉄道関係の施設といった、本来行けなかった所に行けるようにしてくれるものに使われていることも大きい。

人がリベットのついた橋を渡ったりリベットで留められた柱や梁に支えられた駅から電車に乗ったりするときには、できれば見ていて胸がぞわぞわするようなぎゅうっと痛むような気持ちにならない状況であってほしい。橋を渡り電車に乗る方々の心や将来に、少しでも明るい光があってほしい。私のエゴだけれども。

 

ところで、ロンドンにはいろいろなマーケット(市場)がある。あまり行けなかったのだが、訪れた所はストール(屋台の出店)がたくさん並んでいて、少なくともロックダウン前までは人で賑わっていた。

もうだいぶ前のこの日は、ロンドンのイースト・エンドにある、ブリック・レーン・マーケット(Brick Lane Market)に行った。途中ペチコート(ペティコート)・レーン・マーケット(Petticoat Lane Market)に寄った。

まずは地下鉄のオルドゲート(Aldgate)駅で降りて、駅の天井の梁や階段裏のリベットを堪能。かなり高い天井をゆるいアーチとトラスから成る梁が支えている。天井が高すぎてリベットが小さく見えるのが、「もっと近くに寄れればなぁ」的な欲求を掻き立てる。梁のゆるいアーチと、階段の手摺りのシャープなデザイン’(けっこう凝ってる)の組み合わせが面白い。

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階段裏のリベットは、日本ではあまり見かけないものだ。間近で見られて満足。

ペチコート(ペティコート)・レーン・マーケット(Petticoat Lane Market)の辺りは、17世紀にフランスからユグノー教徒が移住してきて、その後19世紀にユダヤ人が来て定住した地域だそうだ。道に屋台がびっしり出ていて、こんな価格で大丈夫なの⁉ というような安い衣類やバッグ等がたくさん売られていた。

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寄ったのは短時間。下着としてのペチコート(ペティコート)(スカートやドレスの下に穿くものでスカート形)は見なかったな……。

もっとも、19世紀前半頃より前は、現在のスカートがローブの一部としてペチコート(ペティコート)と呼ばれていたそうだ。

 

なお、ロンドンでは、道を歩いていて目を上げると建物などに通りの名前が表示されている。なくても、しばらく進むとある。これも良いところの一つだ。

何丁目何まで書いてある日本の住居表示も詳しくていい。が、道に迷っても今どこの通りにいるかがわかるロンドン式の方が私は不安にならずに済む。地図アプリのGPSを使った道案内がうまく作動しないときも、今いる通りの名と直交する通りの名とがわかれば目的地への行き方の見当をつけやすい。でも人それぞれだろうな。

 

そうこうするうちにブリック・レーン(Brick Lane)まで来た。下の写真にも通りの名前が表示されているのだがおわかりだろうか?

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答え 黄色っぽい建物の2階部分に「BRICK LANE E1」の表示がある。左端の建物にも見切れて不完全ながら「LANE E1」が見える。
E1は住所のPost Code area(区域)。EはEastなので東部1区。郵便番号の前半にも使われる(後半は区域の中のもっと詳細な場所をやはりアルファベットと数字で示す)。

 

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まずは親切な案内表示の地図で現在地を確認。

街灯の花火みたいな金属細工の装飾は、20世紀の第二次世界大戦後にこの辺にたくさん移住してきたというバングラデシュの人々と関係あるのだろうか。とか、ブリック(Brick)がついているからには昔は煉瓦でも作っていたのかな、などと思いながら進んだ。それにしても混んでいる。渡英して以来はじめてというくらい多くの若者を見て、若者こんなにいたのか! と思った。

屋台では衣料品、雑貨などさまざまな品物や料理が売られ、マイクの前で歌う人、楽器を演奏する人もいて本当ににぎやかだった。茶色い煉瓦の煙突が目立つトゥルーマン醸造所跡(The old Truman Brewery 下の写真)の複数の建物にも食べもの、ヴィンテージの服、アートやアクセサリー、陶器やインテリアなどそれぞれ扱うメイン商品が異なるマーケットがあった。

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土日あるいはその片方しか開いていないものも多いようなので、営業曜日や時間はあらかじめ調べた方が良さそうだ。行った日も週末だった。私は古地図などを取り扱うお店があったティールームズ・マーケット(Tea Rooms Market)に特に心惹かれた。

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案内表示もラブリーだ。

 

 

正直リベットには期待していなかった。でも道を北上して跨線橋(こせんきょう)に来た時次のものが目に飛び込んできたのだ。

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これまで見た中では一番の極彩色リベットだ。

跨線橋の壁高欄の黄緑が銀、黒、水色、朱色、黄色、焦茶色などのグラフィティで思い思いに上書きされている。勢いの良さを感じる。でも、たくさんグラフィティを見ている方なら「こんなの地味な方だよ」とおっしゃるかもしれない。

ギンギラ塗料にまみれたリベットや、隣りのリベットと色が異なるリベットは見た記憶がなかったので、吸い寄せられるように間近で眺めた。でも立ち止まるのは困難なので、人の流れを邪魔しないようにしながら壁高欄の前を行ったり来たりした。

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そばに寄ると、引きで見ていたのとは違う風景が。太陽に照らされ光るところと陰影もでき、よりリベットがくっきりと際立って見えた。写っていない部分も含めマット、つやつや、ギラギラと質感もさまざまだ。こんな前身頃の服(脳内には昔の『サイボーグ009』の服の形が思い浮かんだ)があったらちょっと着てみたいと思ったのだった。

ロンドンのリスや孔雀(クジャク)

ロンドンから日本に帰ってきて少し経った。
ようやく日本の生活にも少し慣れてきたけれど、イギリスの食べ物の方が口に合うし、いつもロンドンに帰りたい帰りたいと思っている。
一方で、言葉が全部聞き取れるTV、夜遅くまで何でも買えるコンビニ(コンビニエンスストア)、かゆいところに手が届く品を置いている100均(100円ショップ)、自分でシップメントーー発送元、宛先、各品物の分類品目名(検索して検討・決定するのが苦手だった)・重量・原産地・個数・価格などを一覧書類にするものーーを作らないで利用できる宅配便など、日本の便利さに再び慣れて易きに流れやすくなっている自分自身が怖い。

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すぐにロンドンに帰れるわけではないので、ランダムにロンドンのことを思い出しながらこの1日1日を乗り切っていきたい。

さて東京では新型コロナウイルス(Covid-19)感染拡大に関する緊急事態宣言が9月12日まで延長された。不要不急の外出を避けるのはロンドンでのロックダウンと同様だけれど、買い物時や電車に乗った時に人出の多さを見ると、ゆるいなあ、と思う。
けれども、ロンドンでは一番厳しい行動制限がなされた2020年3月から7月までの最初のロックダウンの時でも、実は「1日1回の生活必需品の買い物」とともに「1日1回の運動外出」がはっきりと認められていた。

なので、レストランやカフェ、パブはもちろんスーパーの食料品売場と薬局以外のほとんどの店が閉まってしまい、スーパーの棚はほぼすっからかん、服や電気製品もオンラインでしか買えず、バスや電車などの交通公共機関はどうしても必要な時以外は乗車禁止といった不便はあっても、そんなに息苦しい感じはしなかったのだった(個人の感想です)。20210901063034

もっともこれは、緑や花が豊かで広く、ところどころ歴史的建造物が残り、リスや場所によっては孔雀(クジャク)などが走ったり歩いたりしている公園があったからというのも大きいだろう。初期のロックダウンでは人間は公園内で立ち止まったり座ったりしてはならなかったけれど、それでも1日1回運動のために公園に外出できることは保障されていたので、今の日本と違い「これは不要不急の外出か?」と迷い、考え、疲れることはなかった。

各公園では、鴨や白鳥など野生の水鳥については、餌をやるな、あるいは全粒粉のパンはいいけれど白パンはだめなどと餌をやる注意事項が案内板に書かれていた。
リスについての注意は見当たらなかったので、時々リスにローストされていない無塩のナッツをやっていた。他の人たちもナッツなどをやっていたので、リスにとっては入れ食い状態というか食べ物に困ることはなさそうに見えた。

 

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とあるリスにカシューナッツをやってもヘーゼルナッツをやっても見向きもせず、アーモンドをやると飛びつき後ろ足で立ち両前足でしっかりと握りしめて一心不乱に食べ始めた。ほかのリスも寄ってくる。あーなるほど、リスはアーモンドが好きなのかと思って次に出会ったリスにもやってみると、その子(本当は私より実質年齢が上かもしれないがついこう呼んでしまう)はアーモンドにはまったく見向きもせず、胡桃(くるみ)にばかり食いついている。私はリスというものをひと括(くく)りにしていた自分の誤りに初めて気づいたのだった。人間だったら、あの人どんな食べ物が好きかな、肉かな? 魚かな? などと自然に考えていたのに。

リスがいる、柵の中で緑が生い茂り人があまり来ない芝生には、リスだけでなく鳩もたくさんいた。

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英語には「鳩の中に猫を置く」(Put the cat among(amongst) the pigeons.)という言葉があり、それは爆弾発言をしたり大騒動を引き起こすような行動をとることを指しているそうだ。
けれども少なくとも目の前で「鳩の中にいるリス」は、そもそも猫ではなくリスであるせいもあるが、大騒動を引き起こすこともなく、鳩集団にふぉー、ふぉーと脅され、時に羽ばたかれたりどつかれたりして、鳩がいなければ楽々食べられるであろうナッツまで次々に取り逃がしていた。他のリスに比べても痩せていたので、要領が悪い個体なのかもしれない。平和の象徴の鳩がリスを威嚇するなんて、思ってもみなかった。
かと思えば、カサカサと袋がこすれる音を聞いただけで「くれるの? 餌くれるの?」みたいにすっ飛んできて小首をかしげ、もう何ももらえるものがないと悟ると「チッ!」と舌打ちせんばかりに踵(きびす)を返しサッと走り去るドライなリスもいるのだった。


孔雀が「ケーン!」と甲高い声で鳴いたり、時に塀や木に登って悠然としていたりすることも、知らなかった。
動物や鳥の言葉はわからないので、勝手にそれらの姿を見てこちらはなごんでいた。わからなくて良かったと思う。

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クラパムジャンクション駅(Clapham Junction station)

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皆さま、 ご無沙汰していますがお元気でいらっしゃいますか?
大変長らくブログを放置して申し訳ありません。
なんと2018年の秋以来書いていなかったのです。我がことながら楳図かずお先生描く漫画風な恐怖の表情が脳内に浮かびました。

その後何をやっていたかと言うと……圧倒されていました。
何に? すべてにです!

「なんだこの書かない言いわけ」、「全然意味わからない」と思った方、おっしゃるとおりです。ごめんなさい。

 

実は、しばらく前に家庭の事情で海外に引っ越しました。
放っておくと死にがちな脳細胞をいかになだめすかして働かせるか、あわよくばちょっぴり成長させるかを考える年齢になってからの、まさかの初めての海外生活です。


人も、言葉も、建造物も(←これについては『うひょー!💗』)生活もすべて違う。
もちろん、テレビやベッドがあるとか、朝食・昼食・夕食を食べるとか、テレビで放映されているヨーロッパ製3Dアニメ『HEIDI』のキャラクターデザインのベースが懐かしの『カルピス名作劇場 アルプスの少女ハイジ』だとか、そういった点は共通したりなじみがあったりしてますけどね。

 

ちなみに場所はイギリスのロンドンです(一番上の写真は、タワーブリッジの上部《開いているときは歩けます&展示あり》から見たテムズ川の風景です)。
素敵✨と思うことがたくさんあっても、自分が使ってきた言葉以外の言葉つまり英語で生活をしなければならない、というのは予想以上にお腹がすきますし消耗しました。

おまけに今はコロナ(こちらではコヴィド・ナインティーン《COVID-19》といいます)関係でロンドンは三度目のロックダウン中です。

 

最近イギリスはコロナ関連死者数が十万人を超え、毎日千数百人くらいの人が亡くなっています(前振りが長くてすみません。このあとリベットの話、出ますので)。

ロンドンはロックダウンで食料・薬など生活必需品を売る店以外の店はほぼ閉まり、レストランやカフェなどの飲食店は持ち帰り販売(こちらではテイクアウトでなくテイクアウェイ《take away》といいます。ぎこちない英語教材みたいになっててすみません)とデリバリーのみ。

「あー、店の中で座ってコーヒー飲みてぇ!」と何度胸のうちであるいは家でつぶやいたことでしょう。

 

そんな中、小鳥の声や公園のリス、薄青い空と金色がかった雲のコラボレーションなどと共に私の心を最も慰めてくれるものの一つが建造物です。
古い歴史的建造物が日本より遥かに多く残っています。

もちろんリベットもたくさん!
鉄でできた橋はもちろん、地下鉄の駅だけでも改札口付近の天井、ホームに向かうまでの通路の内外、ホームの柱や梁と、うっとりの連続です。
さすが産業革命発祥の地。

おいおい書いていきますが、例えば茹でた蟹の脚がたくさん並んでいるのに似ているなど自分の思いもしなかったものを含めてさまざまな形や色の「リベットとその付属物」がロンドンにはあります。それらを見ているときは(世界はやはり自分の想像を軽く超えてるんだなあ)などと大興奮です!
また、リベット以外にも、例えば駅等で見られる美しい色や模様のタイルにも心を惹かれるようになりました。
でも家のことなどをやるともうそれらを文章に書く気力・体力が残っていませんでした。
あと10年、いや5年若かったらと思うこともしばしばです。が、若返りもタイムリープもできないので(笑)、また地道に書いていこうと思います。

 

さて、いったいどのリベットから書いたらいいのか。迷いますね。
まずは旅立ちということで長距離旅行にもよく使われ、また存在するリベットとその付属物にもこれは想像できなかったなあと思ったものがあった、ロンドン南西部のクラパムジャンクション駅(Clapham Junction station)から始めたいと思います。

ちなみにロンドンでは地名などのHは読まないことがあります。Clapham はクラパム、Fulham はフラム、shepherd's pieはシェパーズパイ(羊肉とマッシュポテトのパイです)です。

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☆以下、ロックダウンなど旅行制限のないときの話です。

 

写真があまりよく撮れていなくてすみません。
が、改札を抜けホームに向かうまでの通路の足元から窓の下ぐらいまでに、鉄か鋼鉄でできた半円形のものが連続していて、それがまるで海の青い波のようでした。縦にも横にもリベットがたくさん!! 胸が震えました。 

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青がさわやかで白い壁や窓枠とも合っていて、見ながら通っていると心が躍り、反対側にあるマスク着用やソーシャル・ディスタンスィングの注意表示の連続も何のその、ひたすらわくわくしてくるのでした。南方面に向かう長距離列車もたくさん発着する駅なので 、旅心がくすぐられます。

写真を撮れませんでしたが、通路の反対側には花束の自動販売機もありました。初めて見たのでインパクト大。

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そして、これを外側から見るとまたまったく予想外の光景が。

「相似形」という言葉をこんな所で思い出すなんて!

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しかも反対側はまた別の顔。何の数字なんでしょう!? 分数なのかもわかりません。

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なお、この駅は小説家・劇作家・詩人のオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)が当時禁じられ犯罪とされていた(!)同性愛が原因で1895年11月20日にワンズワース刑務所(Wandsworth Prison)からレディング刑務所(Reading Goal)に移送されそのときに同性愛嫌悪の虐待の犠牲になった駅でもあるらしく、こんなレインボープラーク(虹の記念飾り板[額]《Rainbow Plaque》)がありました。

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プラークとその下の解説によれば、オスカー・ワイルドはこの駅で集まってきた群衆から嘲笑されたりつばを吐かれたりの虐待を受け、その後一年間、毎日同じ時刻に同じ時間だけ泣いたそうです。すごいトラウマですね。忘れまいという意味もあったのか。

 

つらい歴史ですが、プラークがあるお蔭でそういうことが忘れられないあるいは後世の人々に思い出され得ます。また、「LGBTQ+の歴史にとって重要な時・人の確認や特定」だけでなく、「鉄道業界でどれほどヘイトクライムが容認されていないのかを思い出させる役割も果たしている(also acts as a reminder of how hate crime is not tolerated in the rail industry )(英文はプラーク下のNetwork Rail、Studio Voltaire、Wandsworth LGBTQ+Forumによる解説より引用)」というのが心に残りました。

 

階段の手摺りの親柱やホームの柱も素敵でした。

 

 

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横浜赤レンガ倉庫

あけましておめでとうございます、と言うにはあまりに遅すぎますが、あけましておめでとうございます。

旧年中は、拙ブログを訪れてくださいまして本当にありがとうございました。


さて、昨年も一昨年と同様、ほとんどまったくリベットを見に行くことができませんでした。

そんな中、ヨコハマトリエンナーレのために訪れた神奈川県の横浜赤レンガ倉庫の中に、リベットがありました。

まあ、あるのは前から知ってるんですけどね。
横浜赤レンガ倉庫を訪れること自体が大変に久しぶりでした。ちなみに上の写真は、そのときよりずいぶん前に撮ったものです。
ヨコハマトリエンナーレの際の写真には、赤レンガ倉庫の全体像を撮ったものがなくて。


ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」のテーマは、「接続と孤立」。
個々の作品同士、あるいは一つのエリアの作品と他のエリアの作品とをつなげたりして、いろいろなことを想像し考えることが求められている気がしました。


その点では非常に自分の想像力を試されるもので、ハードルが高く、見終わった後も悶々としたものです。
もっと歴史や世界情勢について学ばないと、そもそも想像自体ができないところも多いじゃないか、とか。


横浜赤レンガ倉庫以外の会場のものも含めて考えると、横浜美術館入口で来場者を迎える、アイ・ウェイウェイによる、救命ボートと実際に使われたおびただしい数の救命胴衣によるインスタレーションがまずインパクトがありました。


ほかに、川久保ジョイの地図的作品、畠山直哉の写真、瀬尾夏美の絵と言葉、ザオ・ザオのスーツに関する作品、小沢剛のインド・東北のインスタレーション、クリスチャン・ヤンコフスキーの公共彫刻を使って身体訓練をする作品、青山悟の少女と政治家が背中合わせになっている作品、Don't Follow the Windの箱をかぶって360度回転する福島の映像を見る作品、などが印象的でした。



横浜市開港記念会館(いわゆるジャックの塔)の地下にある会場にも足を伸ばし、現代アートをたくさん見て回って疲れた心と体を癒してくれたのが、横浜赤レンガ倉庫の飲食エリアでの昼ご飯でした。

そこはフードコートみたいになっていて、リベットがたくさんついている柱のそばで食事をとることができるのです!
しかもその柱はリベットごと、目に優しい緑色です。

癒されるぅ〜(気持ち悪くてすみません)。



そもそも横浜赤レンガ倉庫とは?
ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」ガイドブックによれば、これは横浜赤レンガ倉庫1号館についてですが、

《1913(大正2)年創建。当時のレンガ建築技術の粋を集めて建造され、日本初の業務用エレベーターや避雷針、消火栓を備えた世界の物流拠点として創建当初から国内外の発展に大きな役割を果たしました。1989年にその使命を終え、2002年に展示スペース、ホールなどを備えた文化施設としてリニューアルし、現在では経済産業省による近代化産業遺産に認定されています。(同ガイドブック23頁より引用)》

とのこと。


今のところレンガにあまり興味がないので、ここはリベットがある柱のそばで食事をとることができ、かつ、なんとなればリベットにこっそりさわることもできる場所としての魅惑スポットとなっています。


子供の頃、給食やご飯のときに、パン又はご飯・おかず・飲みものを順番に飲み食いする「三角食べ」というのが推奨されていたような気がします。
ここでは、食べもの・飲みもの・リベット(ただし目で食べる)という順番で飲食していました。
そしてその順番は、自分の欲望によって食べもの→リベット→飲みもの→リベット、あるいはリベット(目で愛でる)→リベット(こっそりさわる)などと変化していました。


もしかしたら、復元された飾りリベットつきのものなのかもしれないですが、少なくとも歴史の重みの雰囲気が感じられる、素敵な柱です。


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

厩橋(うまやばし)

旧年中は拙ブログを訪れてくださいまして、誠にありがとうございました。
記事の更新が途絶えていて申し訳ありません。


昨年はほとんどリベットを見に行けませんでした。
代わりに、映画やドラマなどでリベットを見かけるとうれしくなったものです。
特にアニメについては、はしょろうと思えばはしょり得るところだし、描くのも大変なのではないかと思うので、精緻に描写されているとそれだけで好感度が上がりました。


写真は、昨年実際に見た、数少ないリベット付き建造物のうちの一つです。
隅田川の蔵前辺りに架かる厩橋(うまやばし)。
1929(昭和4)年竣工の、鋼アーチ桁橋です。


やはり生で目にするリベットはいいものです。そしてたくさんある!
緑色も、目に優しい感じがします(あくまでも個人の感想です)。

呼吸の度にリベット分を補給するような心持ちで眺め、渡り、往復しました。


川が流れていく方向から見ると、橋はなめらかな三連の波みたいに見えます。



灯りのデザイン自体おもむきがありますが、その下の方に馬のレリーフが見られます。


付近の案内板によれば、「この辺りは江戸時代、幕府の旗本や御家人と米商人の間を取り次ぎ、江戸の経済を左右した札差業者が店を構えていたり、諸国から回送された年貢米を収納する幕府の米蔵のあったところ」(案内板より引用)とのこと。
厩橋」の名前からすると、米を馬で運んでいたため厩もたくさんあったのでしょうか。



親柱にも、ステンドグラスでしょうか、色のついたガラスの装飾が嵌め込まれています。
帰宅後写真で確認したところ、ここにも馬が。
夜ライトアップされているところをいつか見たいです。



というわけで今年は酉年です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年のリベット ロンドンのタワー・ブリッジ

昨年よりもさらに記事を書いていなくて申し訳ありません。

今年もっとも心に残ったリベットは、イギリスはロンドンのテムズ川に架かるタワー・ブリッジ(1894年竣工)のそれです。


屋根周りに尖塔を複数持つ、古いお屋敷の一部みたいなぼわっとした色彩の石の塔と、明るい青・白の橋桁及び青・白・赤のケーブル部分から成る橋は、素材的にも色彩的にもコントラストがくっきりしていて、眺めても渡っても心躍りました。
そして手が届くところに「これでもか」というほどリベットが!
橋からの眺めではなく橋自体、それもほかの方が素通りするところを眺めてにやつき、イギリスなので「オゥ!」か何か小さく叫んだりして、ただの変態です。




北搭と南塔の間の下部は、背が高い船が通るときには中央から分かれて跳ね上がります。
跳ね上がるときの音は想像していたよりもはるかに静かで、スウッという感じでした。
すごくスムーズに作動しているのだなと思いました。


橋が上がる回数はそう多くないので、あらかじめサイトで調べていきました。
運がよければ、川べりで飲み食いしたり喋ったりしながら30分くらい過ごし、別の位置から再度、橋が上がるのを見ることができます。
わたしは下からと上(といっても跳開部分の脇ですが)からと眺めました。もう一度見てもいいくらい、飽きなかったです。



塔と塔の間の上部は、今回は行けませんでしたが、全面ガラス張りの歩道橋になっているそう。
瀟洒な石の塔の内側には、これも今回は見られませんでしたが、鉄骨やエンジンが隠されているらしいです。
見たかった!
見られたら、究極のいわゆる「ギャップ萌え」が体験できただろうと思います。 



それでは、本年も拙ブログを訪れてくださいまして、誠にありがとうございました。
今年は、自分自身にとって忘れ難い1年となりました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
良いお年をお迎えください。

トマソン


赤瀬川原平氏が亡くなったとのこと。
開けても足を着ける場所がない高所扉など、美しく保存されている無用の長物「トマソン」を建物に見る楽しみを、『路上観察学入門』といった著書から教えていただいた。
命名の元になった野球選手のトマソンについては、残念ながらまったく知らない。

拙ブログでも「トマソン」あるいはそれに類するものを取り上げていなかったかと調べたら、2件ほどあった。
城ケ島灯台http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20100630/p1)、
虎ノ門〜新橋(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20090420)。
写真は、城ケ島灯台の「かつて下に窓があったのかもしれない小さな庇」。大きな庇の右側のものだ。


虎ノ門〜新橋の方は、建物自体が再開発でもうなくなっているかもしれない。
というかわたし自身が場所を明確に思い出せないという大問題が。
辺り一帯まるっと新しい高層ビル及びその敷地になっていたりしたら、そこにかつてこれらの建物があったのか本当にわからないだろうなあ。


トマソンは現在の姿そのものを見ていても面白いけれど、見る側にとっては、どうしてこうなったのかを想像したり、流れた時間を感じたりできる喜びも多いように思う。
見る者が写真や映像によってしか存在を確認し得ないというふうになることなく、トマソンには、いつまでもリアルに、建物とともに存在していてほしい。