別府タワーの写真が見つからないので通天閣から

テレビ局とは何のゆかりもないのだけれど、本日10月19日21時から、BS朝日で「近代建築誕生秘話 塔博士の愛した数式〜東京タワーを作った男・内藤多仲〜」という東京タワー等6つのタワーを設計した内藤多仲についての番組を放送するようなので、記憶の整理を兼ねて彼が設計したタワーのうち実際に訪れたものについて書いていきたい。
(数年前などかなり前に行った所もあるので、写真が現状と異なる場合があることを予めお断りしておきます。)

まずは別府タワーについて書く予定だったのだが、探しても探してもその写真が見つからない。
なので、昨年行った大阪の通天閣から思い出し書きをしようと思う。
 

通天閣(1956年竣工、国登録有形文化財)は、麓の街とセットになっている。

づぼらやの巨大フグ張り子やら串カツ屋やら、赤や青のけばけばしい色が踊る狭い通りの向こうに、シャープでカクカクした銀色のタワーがそびえていると、それだけで風景が引き締まって見える。

通天閣の、蜂の腹回りが多角形でできているような展望台や尖った両耳のような細い鉄骨といった幾何学的なフォルムと、微かに丸っこい字で記された日立の宣伝文の組み合わせも好もしい。
実は1956年竣工のこの通天閣は二代目で、写真で「100周年」というのは、先代の建物から数えてということらしい。


ちなみにビリケンさんがいる5階の展望台の内側は、最近の改修工事で金ぴかになったらしい。金ぴかといっても、やや鈍い金色で、厭な感じはしなかった。竣工時は何色だったのだろう。
方杖といっていいのかどうか、中央の太い柱状のところを支える斜材もそれに打たれたリベットもまばゆく輝いている。
斜材上部に四つ葉のクローバー形の開口部が見られるのが密かにツボだ。斜材が途中でゆるやかに曲がっているのもいい。

あと、柱と天井の境目のモールディングも、サイマ レクタ(Cyma recta)というらしい下が凸型・上が凹型で湾曲するものや、歯状装飾デンティル(Dentil)など、何層にもわたるのが重厚でかつ美しい。
外が素っ気なくて中が意外なほど豪華なのは、月並みな比喩だがややツンデレっぽくもある。

下の階の展望台はよりシンプルで、そこの黒っぽいリベットもまた素朴な味わいでよかった。

以下の通天閣の公式サイトに、概要や歴史が載っている。
http://tsutenkaku.co.jp/shiryo/index.html


麓のパーラー喫茶ドレミの佇まいも気になったけれど、残念ながら寄る時間なし。看板に書かれた「いかるが牛乳」、ちょっと飲んでみたい。

マッサージシート(はてなのポイントシステムの動作確認)

はてなのポイントシステムの動作確認のため、今日は、実際に試したことがあり、かつ買おうか迷っているAmazon商品の紹介をしてみます。

ステルスマーケティングじゃなくてあからさまマーケティングといったところでしょうか。

ドクターエア 3Dマッサージシート (ネイビー)

ドクターエア 3Dマッサージシート (ネイビー)

商品は、Dr. Airの3Dマッサージシートです。
まだ買っていないのですが、実際に試してなかなか心惹かれるところがありました。
何よりいいのは、「安い価格でマッサージチェアと同様の効果が得られる」という点と、「シートなので、マッサージチェアをどこに置くかを考える必要がなく、今家にある椅子が使える」という点です。

マッサージチェアに心惹かれながらも、新たに椅子を置くスペースを作るのは大変難しいので諦める、というハードルをひょいと超えられる点で、すごい発想の転換だと思いました。
ほかの会社の、クッションにマッサージ機能がついているものにも同じような発想の転換を感じましたが、自分で背筋に沿って移動させなくて済むのが、ものぐさ人間にはさらに魅力的です。


もみ玉は、肩については自分にはやや硬めに感じられましたが、動きは本格的ですし、背中や腰などは疲れがいい具合にほぐれると思い、いつまでもシート座面に腰掛けていたくなりました。
座面にはバイブレーション機能もついています。
この辺りの感触は受け止め方に個人差がありそうですから、やはり、店頭などで実際に試されるのが一番かと思います。
また、色により、緩衝シートというものがあるものとないものとがあるみたいです。


価格は店頭の方がAmazonより安かった気がするのですが、記録していないので記憶が不確かですみません。
また、安いというのはあくまでもマッサージチェアと比較してのことなので、単独で考えると個人的には全然安くありません。
買うかどうかは、もう少し検討したいと考えています。

中秋の名月、そして翌日のスーパームーン

昨年9月19日は、中秋の名月と満月が一致する2010年代最後の日だったようだが(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20130919/p1をご参照ください)、今年は9月8日が中秋の名月、9月9日が満月かつ、月と地球の距離が近いためより大きく見えるスーパームーンだったとのこと。
太陰暦のことなどよく知らないので、中秋の名月は1年でこんなに日がずれるのか、と思った。


中秋の名月は曇天のため見られず、月見団子を食べつつ、そしてしっぽが愛らしいウサギが、別のウサギがスタバで飲み物を作る感じで餅をついている月に梯子をかけているGoogleロゴを見つつ、その光り輝く姿に思いを馳せた。

スーパームーンは大きさが実感しやすいらしい地平線近くにあるときに見るのをすっかり忘れ、ずいぶん高い所に上ってしまってから見たため、どうスーパーなのかわからずじまいだったのが少々残念。

電車とバスの博物館

長らくブログを放置しておりまして申し訳ありません。
考えてみると今年初めての記事です。
お立ち寄りくださいまして、誠にありがとうございます。
もう5か月も過ぎてしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

======

過日、川崎市宮前区にある、東京急行電鉄株式会社(東急電鉄)の「電車とバスの博物館」(参照URL:http://www.tokyu.co.jp/museum/)に行ってきた。
東急田園都市線宮崎台駅に直結していて、館内は親子連れで賑わっていた。

見所はたくさんあるけれど、今回まず印象に残ったのは、上の「デハ3450形」。
1931〜1936(昭和6〜昭和11)年に製造された「モハ510形」の形式が、1942(昭和17)年に変わったもので、1989(平成元)年まで当時の東横線目蒲線で走っていたものだそうだ。
カット電車本体よりも、その前に設置された、主電動機やブレーキ装置、車輪、ばねが組み込まれた台車部分のリベットが黒光りしていて大変美しく、心惹かれた。周囲の機械類との組み合わせも相俟って、久々に見事なリベットを見たなあ、と心から満足した。

電車には乗ることができるだけでなく、運転席に入ってレバーを操作し、電車の前に置かれた主電動機を起動させたり、紐を引っぱってチン! とベルを鳴らしたり、マイクを使って車掌アナウンスを体験したりすることもできた。一人当たりの時間が決まっていて、それを計るために砂時計が置かれているのが小粋だ。
ほかにも運転の真似ができる電車が複数あったが、あまりに並ぶ列が長いものはパスした。


パノラマシアターでは、パノラマ映像の上映を見ることができた。
ふだんは薄暗いパノラマ空間に灯りがつき、館員さんの説明とともに様々な電車等の映像が映し出され、鉄道模型が時代に関係なく同じ空間を走り、行き交う。
かつて各電車に乗ったときのことなども多少、胸をよぎった。
映像上映の開始時間は最初に確認しておくといいかもしれない。


バスは電車に比べるとあまり心惹かれないのだけれど、行先の電光表示の展示まであるとは思わなかった。



さてここまでは本館の話だが、いったん外に出て、道を渡った所に別館がある。
ここを忘れてはいけない。


別館には、リーフレットの表紙に使われている電車が置かれていて中に入れるほか、本物のYS-11機(日本で最初のターボプロップ(タービンエンジンでプロペラを駆動する)形式の中型輸送機。戦後、官民が一体となって開発した国産飛行機)のコックピット(操縦席)を使用した、フライトシミュレーターがあるのである!
これが思いのほか面白い。テレビでしか見たことのないYS-11機は予想外にこぢんまりしているのがまず驚きだった。
比較対象物がないと大きさはわからない、というのは、昔、宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」のプロモーションビデオを観たときにも感じたことだ。

コックピットも狭く、前面には窓ガラスを除いて天井近くまでびっしりと計器やスイッチ等が並んでいた。かの松本零士が漫画に描いていた、黒地に白い円と細かな目盛、針がついているいわゆる「松本メーター」っぽいものもたくさんあるのが時代を感じた。お好きな方はそれだけでも興奮できるのではないか。なお、この機体は1988(昭和63)年1月まで国内各地を飛んでいたそうだ。

シミュレーションは隣りに指導員さんがついてくださるので、安心して体験できる。
窓ガラス越しに見える滑走路やら空やら島やらの絵を眺めながら操縦桿を押したり引いたり回したりするのは、結構わくわくした。

別館には図書室もあり、鉄道関係の本や雑誌が、かなり古いものを含めたくさん置いてあった。ディアゴスティーニ社のものまであるとは思わなかった。
古い鉄道雑誌をまとめて探したりするのにはたいへん便利そうだ。



これだけ楽しめて、飲食可能エリアでは自販機でアイスも売られていて入場料は百円、なんと良心的なのだろう。
そして、わりとコンパクトな空間にいい具合にいろいろなものが展示されているのにも感心した。


左の写真はかつて奥沢駅にあったという頬杖(ほおづえ)(方杖(ほうづえ)のこと)。ホームの上屋を支えていたそうだ。瀟洒アラベスクがたまらない。
説明には「頬杖」とあり、それは『もう頬づえはつかない』の方だよなたぶんと思ったけれど、この字も使う模様。

本人たちが気づかないときに  『桐島、部活やめるってよ』

過日、映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年 吉田大八監督 出演:神木隆之介橋本愛大後寿々花東出昌大松岡茉優ほか)を観た。
(多少ネタバレあり)

ドラマ「あまちゃん」に出てくる人が出演者に多いので、同様に大河ドラマ出演者が多かった『るろうに剣心』を観たときみたいに、思わずドラマ出演時の役柄を重ねて「キレる松平容保 VS 岡田以蔵後藤象二郎!」などと吹き出してしまわないか心配だったが、そんなことはなかった。


バレーボール部のキャプテンでスポーツも勉強もできて人気もある桐島が突然退部し、姿を消してしまったところから話が始まる。
スクールカースト的に上位らしき桐島・彼の親友で野球部幽霊部員の宏樹(東出)・バドミントン部のかすみ(橋本)らとは交流のない、あるいはかつては交流があっても今は疎遠になってしまった映画部の涼也(神木)、吹奏楽部部長の亜矢(大後)など、複数の人物の視点で同じ時間を何度か描いていたのが、ちょっとまだるっこしく感じたところもあったけれど見え方が変化して面白かった。


途中で、登場人物たちが同じ場所であるいは別の場所でやっていることが、本人たちが気づかないままにものすごくぴたっと嵌って一つの芸術を創り上げているシーンがある。
背筋がぞくぞくすると同時に、やっている本人たちは、すべてが合わさってこんなに凄いものになっていたことに永遠に気づけないんだよなあ、と思った。
このシーンは、観終わったあとも何度も頭に浮かんだ。


また、「映画監督にはなれない」、「プロ野球選手にはなれない」と、早くから自分の可能性に見切りをつけている人物が複数いてへぇー、今の若い人たちはあっさりしてんのねと思ったけれど、考えてみたら自分も部活の延長線上にある仕事については、「なれる」と思ったことがないしなりたいと思ったこともなかったのであった。それでも部活をやってよかったと感じられるのは何なのだろう。楽しいことばかりじゃないのにね。
映画では、最後に宏樹は涼也との交流で答えの端緒を掴んだように見えた。


各人物が個別の事情や悩みを抱えているらしいのだけれど、映画では皆、相手によってそれを全く見せなかったり小出しにしたりしていて、「ぶつかり合う熱い青春」的なものはあまりなかった。そこが何ともリアルで、朝井リョウの原作ではどんなふうになっているのだろうと興味が湧いた。

中秋の名月

ひさびさに緊急地震速報を聞いた。あの音は何度耳にしても緊張する。福島や茨城に住んでいらっしゃる方は、夜中に大きな地震でびっくりされたり、大変でいらしたりしたのではと思う。



 
昨日、といってもまだ寝ていないので感覚的には今日なのだが、今年の9月19日は、中秋の名月と満月が一致する2010年代最後の日だそうだ。
月は本当にきれいで、最初見たときには周囲の建物の関係でか見えなかったのだけれど、次に見たときには、高い所にあって大きくないのに硬質な光がパァーンと降り注いでいて、まさに月光浴という感じだった。
(どうでもいいけどわたしのパソコン、なんで『げっこうよく』で『激昂欲』って出るの? そんな欲望はねーですw)


白く強く光りつつ、ウサギのような人面のような模様もくっきりと見えているのに、手持ちのコンパクトデジカメではその両方を写すことはできない。
光をとれば模様が飛んで平面っぽくなり、模様をとればまばゆい光が再現できない。
人間の目はすごいな、と思った。
あと、正直クレーターなどをこんなに写せるとは思っていなくて、自分のコンパクトデジカメを見直した。


なお、月見団子にメープルシロップはあまり合わなかった。黒蜜だったらまた違ったかもしれない。

映画『風立ちぬ』に豊海橋?


過日、映画『風立ちぬ』(宮崎駿監督)を観た(多少ネタバレがありますのでご注意ください)。
零戦を設計した堀越二郎と小説『風立ちぬ』、『菜穂子』を書いた堀辰雄が混ざった主人公、堀越二郎が妹の加代と一銭蒸汽(小型船)江東丸に乗っている場面で、前記事に挙げた豊海橋(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20130711/p1の最初の方にあります)らしきものが背景に映ったので嬉しかった。

豊海橋だとすれば、パンフレットの年表では1925年の出来事らしいので、まだ竣工前のものということかも。


どうして庵野秀明が主人公堀越二郎の役なんだ? という思いは最後まで消えずもやもやしたが、殺戮に使われるという「呪われた」面を飛行機が持つことを知りつつも、夢であるその開発に没頭し突き進まずにいられないことの恐ろしさと甘美さはすっと胸に刺さった。
とはいえ庵野秀明も、「きれいだよ」という台詞は本当に良かったと思う。

菜穂子役の瀧本美織の声は、「てっぱん」や「ソニー損保」のCMと違う感じで好印象。凛としていて、溌剌としたところは溌剌としながらも抑制が効いていた。黒川夫妻あっての結婚式の場面も、二郎が仕事しているときに手を握ってもらう場面もあとから思い返したくなるものだった。
二郎の妹加代が走るのを止めた黒川夫人の言葉、「きれいなところだけ、好きな人に見てもらったのね」(うろ覚えだが)が、沁みた。


カプローニよりもカストルプの台詞にメフィストフェレス的なものを感じ夫に言ったら呆れられた。
でも、テラス席で彼が二郎に囁いた言葉は、暗示的で予言的で現在の日本に対して吐かれていてもあまり違和感のないもの。しかもそのあとすっと消えちゃうし。そういえば彼は、二郎と菜穂子を祝福してもいた。


丸頭リベットは飛行機が沈頭鋲中心になっていくので思ったより出なかったのが残念だが、ドイツのユンカース社の工場や戦闘機に少し見られた。
ガルウィング九試単座戦闘機は大変美しく、こんなものを飛ばしたらより美しいものをと突き進んじゃうよなあ、そうなる前に戦争は阻止しないとと思った。
技術者だけでなく理系の者も文系の者も、戦争があろうとなかろうと持ち場の仕事をおそらく一生懸命やるわけで、ただ、いったん戦争が始まってしまえばその仕事が否応なく「戦争遂行の目的に適う範囲で」のものになってしまうのだなということを強く感じた。
かといって技術者なら戦争について責任はないのか、というとそうも思えない。
戦前は難しかったかもしれないけれど、少なくとも現在なら、例えば投票という限られた範囲でかもしれないけれど為政者を選ぶことができる。

写真は、数年前にアメリカのスミソニアン博物館で見た零戦。この映画にはほとんど出てこないが、映画に出てきた「沈頭鋲」や「開け閉めが簡単になる工夫」と思われるものが見られる。