映画『風立ちぬ』に豊海橋?


過日、映画『風立ちぬ』(宮崎駿監督)を観た(多少ネタバレがありますのでご注意ください)。
零戦を設計した堀越二郎と小説『風立ちぬ』、『菜穂子』を書いた堀辰雄が混ざった主人公、堀越二郎が妹の加代と一銭蒸汽(小型船)江東丸に乗っている場面で、前記事に挙げた豊海橋(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20130711/p1の最初の方にあります)らしきものが背景に映ったので嬉しかった。

豊海橋だとすれば、パンフレットの年表では1925年の出来事らしいので、まだ竣工前のものということかも。


どうして庵野秀明が主人公堀越二郎の役なんだ? という思いは最後まで消えずもやもやしたが、殺戮に使われるという「呪われた」面を飛行機が持つことを知りつつも、夢であるその開発に没頭し突き進まずにいられないことの恐ろしさと甘美さはすっと胸に刺さった。
とはいえ庵野秀明も、「きれいだよ」という台詞は本当に良かったと思う。

菜穂子役の瀧本美織の声は、「てっぱん」や「ソニー損保」のCMと違う感じで好印象。凛としていて、溌剌としたところは溌剌としながらも抑制が効いていた。黒川夫妻あっての結婚式の場面も、二郎が仕事しているときに手を握ってもらう場面もあとから思い返したくなるものだった。
二郎の妹加代が走るのを止めた黒川夫人の言葉、「きれいなところだけ、好きな人に見てもらったのね」(うろ覚えだが)が、沁みた。


カプローニよりもカストルプの台詞にメフィストフェレス的なものを感じ夫に言ったら呆れられた。
でも、テラス席で彼が二郎に囁いた言葉は、暗示的で予言的で現在の日本に対して吐かれていてもあまり違和感のないもの。しかもそのあとすっと消えちゃうし。そういえば彼は、二郎と菜穂子を祝福してもいた。


丸頭リベットは飛行機が沈頭鋲中心になっていくので思ったより出なかったのが残念だが、ドイツのユンカース社の工場や戦闘機に少し見られた。
ガルウィング九試単座戦闘機は大変美しく、こんなものを飛ばしたらより美しいものをと突き進んじゃうよなあ、そうなる前に戦争は阻止しないとと思った。
技術者だけでなく理系の者も文系の者も、戦争があろうとなかろうと持ち場の仕事をおそらく一生懸命やるわけで、ただ、いったん戦争が始まってしまえばその仕事が否応なく「戦争遂行の目的に適う範囲で」のものになってしまうのだなということを強く感じた。
かといって技術者なら戦争について責任はないのか、というとそうも思えない。
戦前は難しかったかもしれないけれど、少なくとも現在なら、例えば投票という限られた範囲でかもしれないけれど為政者を選ぶことができる。

写真は、数年前にアメリカのスミソニアン博物館で見た零戦。この映画にはほとんど出てこないが、映画に出てきた「沈頭鋲」や「開け閉めが簡単になる工夫」と思われるものが見られる。