静謐な中での「魂のぶつかりあい」――『百合子、ダスヴィダーニヤ』

明治村の建造物についてはあと一回書きたいと思っているのですが、昨日見た映画が心を離れないので、そちらを先に書きます。ツイッターでのツイートに補足をしています。


昨日、渋谷のユーロスペースで『百合子、ダスヴィダーニヤ』を見た。
ロシア文学者の湯浅芳子(1896年―1990年)が、15歳年上の古代ペルシア語研究者である荒木茂と結婚していた小説家中條百合子(1899年―1951年)と1924(大正13)年に出会ってからの40日が描かれている。
なお、百合子は荒木と離婚し、ロシア留学を含めての芳子との共同生活とその破綻後、文芸評論家でのちに日本共産党書記長・中央委員会委員長となる宮本顕治と再婚した。
百合子は戦後描いた小説で芳子を否定的に描いたが、芳子は反論せず沈黙を守ったそうだ。「しかし、このことは百年ののちに明らかにされていいことだ」(映画パンフレットにある彼女の言葉)とは、何て控えめなのだろう。また、歳をとってからも、生涯で一番好きだったのは百合子だと言っていたという。


予想より遥かに静謐な空気の中での中條(のち宮本)百合子と湯浅芳子荒木茂の「魂のぶつかりあい」にどっぷり浸り、家に帰ってからも、(同性愛と友愛の境目って何なのか。それらの言葉自体あまり意味ないんじゃないか)と考えずにはいられなかった。心情を燃え上がらせていいのかや、性愛や独占欲が含まれていいのか、というのは一つの指標だろうけれどそれで全てぱっきり線引きができるものでもないのでは、と思う。言葉って不自由だな、と感じた。
パンフレットの澁谷知美さんの文によれば、「同性間の親密性を『病気』とする発想は1920年代の通俗性欲学ブームにのって広まりつつあったもの」とのことで、そういえば女学校の生徒間の親密性として珍しくなかった「エス」については、自分も母親から聞いたことあったな、と思い出したのだった。


思いがけず浜野佐知監督の舞台挨拶も聴け(モーニングショーに、毎日のようにいらしているらしい。頭が下がる)、芳子を歴史の波に消えさせない強い意志が感じられて良かった。
別れを予感しながら百合子を愛する凛とした芳子、その時々の自分に正直な行動が周りの人を傷つけるさまが他人事と思えなかった百合子を、菜葉菜さんと一十三十ーさんが好演していた。
芳子目線で描かれた映画なので芳子の独白はあるのだけれど、百合子の独白はないので、手紙や発した言葉以外の彼女の独白も聴きたくなった。

二人を引きあわせる野上弥生子役の洞口依子さんは、(この場面でもう登場終わりかな?)とドキドキしたら何度も再登場されたので本当に嬉しかった。ロケ地は寒かったのでは、と今更してもしょうがない心配を少しした場面もあった。二人を冷静に温かく見守る中に、成り行きを楽しむ感じがごく僅かに醸し出されていたのが印象的。薄紫の唐草模様や黒っぽい着物も似合っていたし、帯締にさりげなく金や赤のさし色が使われていたのも忘れ難い。

「ベイビー」等の台詞に何度もくすっと笑わされた茂役大杉漣さん、吉行和子さん、麻生花帆さんなど主要脇役の方が皆強烈な印象だった。茂はだめさや狡さもあるけれど、百合子に自由に好きなことをさせるし、百合子が迷うだけのチャーミングさもある。百合子の祖母、中條運役の大方斐紗子さんの「〜くなんしょ」という福島弁も沁みた。上手いと思ったら福島出身だそうだ。


また、彩り豊かで百合子の半襟は花模様など人物の個性も窺える着物、中川家住宅(国登録文化財)等の歴史的建造物、自然の緑、一十三十ーさんの歌声よりもクリアな声や太股など、筋以外のところにも大いに五感を刺激された。
パンフレットにはロケ地マップや原作者沢部ひとみさんによる芳子の思い出、菜葉菜さんと一十三十一さんの対談も載っていて、何度も読み返した。


なお、惹かれあっていく芳子と百合子が、福島県の安積・開成山の百合子の祖母宅で向かい合って仕事をする場面、湖のほとりを散歩する場面は特に好きだ。関係性の形を問わず、互いが何らかの愛情を根底にもって刺激し合い、切磋琢磨していけるというのは素晴らしいことだと思う。映画ではあまりそういう感じがしなかったけれど、芳子のも含めて互いのだめさも知った上で、ということだったようだし。それは実生活でも実感することで、クサい言い方になるけれど、一緒に行ってくれた友人や日頃なかなか会えない友人にも感謝することがままある。


ラストでしんみりしてしまった余韻が、一日経っても消えない。
公式サイト:http://yycompany.net/
大阪でも近日上映されるそうだ。