思いがけない気分 ワシントンD.C.2


具体的なことは忘れたが、以前従事していた仕事で、要求の根拠を示すのに米国の類似事例を引き合いに出したことが一度ならずあった。また、逆に、要求が通るかどうかの査定で、海外特に米国ではどうなの、と訊かれたこともあった気がする。

いずれの場合も(制度も成り立ちも違う国のことなのに、何でアメリカでやってることを基準にする的な雰囲気があるの!?)という気持ちが常にくすぶっていた。


けれども、例えばワシントンD.C.にあるユニオン駅の約30mほどの高さにある、浮彫模様の美しい天井やそこまで伸びる太い円柱を見上げるにつけ、また、白く精緻な国会議事堂に惚れぼれしたあと振り返って遥か彼方のワシントン記念塔までスコーンと見渡せる広々とした風景の中で呼吸するにつけ、(これは本当に、違う星から来た人々がつくった都市なんじゃなかろうか)と思い、先に述べた懐疑心が消えそうになって(真似したくなってもしょうがないやね!)という気分になることがしばしばだった。

明治や大正の時代に船で来た人など、もっと強い衝撃を受けたかもしれない。


殊にそういう気分が強まったのが、スミソニアン博物館やナショナルギャラリー。
一度も米国を訪れたことがない英国の科学者ジェームズ・スミソン氏(私は、ずっとスミソニアン氏だと思ってた)が、1829年に、甥が子供なしで亡くなったらという条件で莫大な遺産を「人類の知識の普及と向上のため」なぜか米国に寄附してできたスミソニアン協会は、航空宇宙・自然史・アメリカ歴史など19の博物館・美術館・動物園を管理運営している。一つ一つが見所満載なのでとても回り切れなかったが、国立航空宇宙博物館一つとっても、ロケットあり月面着陸機と同様の仕様のシミュレーターありライト兄弟のからグラマンX-29まで各国各時代の飛行機ありスペースシャトル(離れた場所の別館ウドバー・ハジー・センターにて展示)あり、だ。

トップ写真の左は本館展示の、2004年に初めて有人民間機で宇宙に行ったスペースシップワン、右は1947年に初めて音速を超えて飛んだ飛行機ベルX-1”グラマラスグレニス”だ。

スペースシップワンは、煌めき流れる星などアメリカの国旗をアレンジしたみたいな絵柄が機体に描かれているのがお茶目で気に入った。大気圏再突入時に尾翼部分を65度に立てることにより減速を促して摩擦熱の発生を防ぎ、大気圏に突入する際の人員の無駄死にがないようにした模様。脳内で、『機動戦士ガンダム』で大気圏突入時に乗っているザクごと燃え尽きるクラウンの「シャア少佐ぁ!」の声が響いた。

ベルX-1は、速度を計る先端のピトー管が長くて胴体が短いのが、ハチドリっぽい。



また、月面着陸機(と同様の仕様のシミュレーターだけれど)やスペースシャトルエンタープライズ”などは、大きいのだろうな、と想像してはいても所詮テレビ画面の大きさの枠内で物事を考えていたんだな、と実感させられる巨大さだった(写真中)。スペースシャトルの耐熱タイルは、これは剥がれるのもありかも、というものだった(写真下)。タイルがどのように貼られているか、実物を見るまで考えたこともなかった。

巨大と言えば、「紫電改(川西N1K2-Ja”紫電21型”)などの日本の戦闘機と一緒に」別館に展示されている、広島に原爆を落としたボーイングB-29エノラ・ゲイ”もものすごく大きくて、翼についたプロペラ関係の部分が小さな飛行機くらいもあった。これはでも、原爆資料館や『はだしのゲン』や人の話で見聞きしたことを思い出してしまい、見ていてとても複雑な気持ちになった。本当は各国の戦闘機すべてに対して同じように複雑な気持ちになるべきだし、日本の戦闘機等がほかの国の戦闘機等に対して行ったことも考えるべきだと思う。けれども、そこまでは想像力を及ばせることができなかった。及ばせるための基礎知識自体が圧倒的に足りないのだ、いや、知識だけじゃないかも、と実感した。同時に、機体自体の美しさも感じずにはいられないのだった。

ナショナルギャラリーでは、マーク・ロスコやモーリス・ルイス、カルダー、フェルメールレンブラントなどの作品を堪能した。レンブラント肖像画の多くは、鼻の頭を白く光らせていて、それがすごいアクセントになっていると思った。ジョージア・オキーフの、花や骨でない、水辺か何かの静かで寂しげな水彩画も見た。
スミソニアン博物館同様に受付でバッグを開けてのセキュリティーチェックがあるし、また、各部屋に屈強そうな制服姿のガードマン(女性も皆パンツ。スカートはあり得ない感じ)が配されているけれど、作品の撮影も原則OKだし何といってもスミソニアン博物館とともに入場無料。ありがたや。