映画『コレラの時代の愛』(ネタバレがあります)

先日、ガルシア=マルケス原作、マイク・ニューウェル監督の映画『コレラの時代の愛』を見た。
コレラが死の病であった19世紀後半〜20世紀前半のコロンビアを舞台に、美しい女性フェルミーナ・ダーサ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)と恋仲になるも仲を引き裂かれたフロレンティーノ・アリーサ青年(ハビエル・バルデム、若い頃は違う俳優)が、51年9ヵ月後に彼女の夫で医師のフベナル・ウルビーノ(ベンジャミン・ブラット)が死ぬのを待って再告白、ひどい拒絶に遭うなど紆余曲折の末、恋を実らせるという話だ。
ストーカーの話だったらいやだなあ、と思っていたのだけれど、フロレンティーノはフェルミーナの姿を追ったりはすれど、すれすれのところで自身を抑制し、彼女にも「彼は影のような人」(うろ覚え)と言わせているくらいで、不快感はなかった。いったん、自分達の恋は幻想だった、と彼女に釘を刺されてはいるけれど、まあもともと両思いだったわけだし。でもハビエル・バルデムのどこか不気味なたたずまいが、本当にぴったりなキャスティングだと思わせてくれるのも確か。
普通はいくら好きでも状況が許さなかったり、いろいろな人が目の前に現れたりすれば、自分の気持ちに折り合いをつけながら生きていくことが多いのだろうが、50年以上独身を守って思い続けることができる人に出会えるということは、すごく残酷な試練であるとともに、彼の手紙にも出てきたように、「恋は恩寵」でもあるのだろうとも思う。なんてったって彼女が生きている限り希望があり、ほかのことに全部うわの空でいられるんだから(それでも、失恋の理由が地位や身分がなかったことというのもあり、奮起して船舶運行会社の社長にはなります)。
あと、76歳と72歳でフロレンティーノたちが結ばれるシーン、フェルミーナが服を脱いだところが一番ドキドキしたのだが、これを見つめるフロレンティーノの目が、とても良かった。
映画はフロレンティーノ目線がメインだし尺が限られているので、フェルミーナとフベナルの日々の積み重ね的な恋愛とか、フロレンティーノに言わせれば一人を除いて「体だけの関係」である、彼が関係をもった622人の女性とのこと、フロレンティーノのビジネス文書も文学的に書いてしまう様子や彼の代筆屋としての働き、が原作でどのように書かれているのか、ここは原作でも同じかしらん、と何度も思った。でも、原作はけっこうな厚さがあるし、読むものが溜まっているので、読むのは先になりそうだ。
また、コレラって、人間にとってただ悪いだけのもの、と思っていたけれど、映画のなかには「コレラが発生した」ということにして、そこそこ豪華な客船をFFカップル二人の貸切状態にしてしまうという、思いがけないコレラの使い方があった。
ご年配のカップルが多かったので、その人たちが見終わった後にこの映画についてどういう話をするのだろうか、というのが気になって、TOKYO FMのラジオ番組「Suntory Saturday Waiting Bar AVANTI」のお行儀の悪い「紳士」みたいに、ちょっと聞き耳をたててみたくなった(どうでもいいですけど、あの紳士はバーテンダーのスタンにちゃんと飲み代を払ってるんでしょうか?)。
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