明治村4 鴎外・漱石が住んだ家など 

明治村には、和風住宅や和洋折衷住宅もあった。写真上は、「森鴎外夏目漱石住宅」(1887(明治20)年頃建設、国登録有形文化財)。

東京都文京区千駄木にあり、1890(明治23)年から1年余り森鴎外が借りて住み『文づかひ』等の小説を執筆、その後、約10年経って夏目漱石が借りて住み、『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』、『草枕』等を執筆したとのこと。縁起のいい家だー。


 
吾輩は猫である』の下女、おさんが出てきそうな雰囲気(写真中上左)。女中部屋の前の短い中廊下は、各部屋の独立の始まりだそうだ。

南の面に突き出して建てられた書斎には、「猫」の置物あり(写真中上右)。『博物館明治村ガイドブック』(2011年1月 株式会社名鉄インプレス発行)29頁によれば、「この形が後に洋間の応接室として独立していく」らしい。そんなことはまったくわからなかったが、来客に快適に過ごしてもらうのにはふさわしいと思った。
8畳ほどでさほど広くはないけれど、風通しが良く、小ざっぱりして気持ちのいい部屋なのだ。
和室で座っての長時間執筆は腰にきそうだけれど、ここなら……と思える場所だ。

 
千駄木にあったときとは違うだろうけれど、現在の眺めは最高(写真中下左)。訪れた人たちも縁側などでくつろいでいた。当時のものかは不明だが、部屋の隅に置かれていたランプも趣があった(写真中下右)。


明治村にはほかに、幸田露伴住宅「蝸牛庵」(1868(明治初)年代建設、旧所在地は東京都墨田区東向島)もあり、1階では娘の幸田文気分で(?)はたきがけができる。誰もやっていないので、障子の桟をやってみた。露伴がそばにいたらまず怒鳴られるだろう。

ここは二階の小さな部屋が、風が通り涼しく、窓から畳に落ちる陽の光がきれいだった(写真下)。著者は違う(谷崎潤一郎)が『陰翳礼讃』という感じだった。