ヴィジェ・ルブラン展と高い柱1

東日本大震災での具体的な被害は、家具の留め具類が功を奏したこともあって、物が落ちたり食器がいくつか割れたりしたくらいだ。けれども、地震自体がこれまでに体験したことのない怖いもので、震災があってから、小説等の本を読むのも、日記を書くのもとても難しくなっていた。
訪問したのに更新されてねーじゃねぇかYO! と思われた皆様、本当に申し訳ありません。
御訪問くださりどうもありがとうございますm(_ _)m


音楽やお笑い芸人の方の芸、成長する植物は、否応なく耳や目に飛び込んできて刺激を与え、体の奥深くに沈んでいた喜びや楽しさの感情や記憶を引き出してくれる。実際、震災後に、その力を感じたことが一度ならずあった。
けれども、本を読んだり何かを書いたりは、それらができるところまでまず自分の調子を持っていかなければならない。必要に迫られている以外の場所に出かけるのも同様だ。

パニックに陥らずデマに惑わされず通常の生活を続けることが大事、と思ってはいても、何度も自身に負けそうになったり実際負けたりしてしまった(あーあ)。
そして、原発がらみの水や空気の心配や、水道水汲み置き用のペットボトルを洗っては乾かしの繰り返しにも、意識していたよりずっと疲れているようで、常に緊張がとれず、小さな余震でも胸がドキドキし、いろいろ感情が麻痺している。

御自身や御家族・御親戚、御友人等が被災された皆様、心からお見舞い申し上げます。 


そんな中で過日、友人と一緒に行った三菱一号館美術館の「マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展―華麗なる宮廷を描いた女性画家たち―」は一時的にせよ良い気分転換になった。
マリー=アントワネットと同年に生まれ、彼女に肖像画家として重用されたヴィジェ・ルブランは、フランス革命時には農民に身をやつして国外に逃れた。亡命先のイタリア、オーストリア、ロシアでも幸い重用されたそうだ。

彼女自身が非常に美人な上、黒と赤がインパクトのある自画像やポリニャック公爵夫人の肖像画など気品がある肖像画や、虹色光沢のあるドレスの、衣擦れの音が聞こえるような描写など、絵そのものも、もちろん印象的だった。
けれども、18世紀後半に、王妃や貴族のたくさんの女性が職業や教養として絵を描いたことや、それを知って驚いてしまう自分の固定観念、説明板に書かれた画家たちの生涯における出来事がより心に残った。

ヴィジェ・ルブランも、のちに離婚した夫が画商だったため宮廷から大作を任されなかったし、
シュザンヌ・ギュメット・ル・ベルチェ・ド・ロザンボは、祖父が弁護士としてルイ16世の弁護をしたために両親や姉がギロチンにかけられた。
マリー=ルネ・ジュヌヴィエーヴ・ブロサール・ド・ボーリューは貧困のうちに亡くなった。
アンナ・ドロテア・テルブッシュ=リジウスカ(通称テルブッシュ夫人)は、いったん寵臣となるも失脚した夫についていって隠遁し、革命時囚われるものちに釈放された。
ヴィジェ・ルブランのライバル、ラビーユ=ギアールは大作を任され、宮廷で後輩の育成にも力を注いだ。
本当にいろいろだ。