「摩天楼」を体感した日 NYC1

あけましておめでとうございます。
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昨年、アメリカで最後に訪れたのはニューヨーク市
私が見た範囲での話だが、ニューヨークではデザインも様々な新旧の高層ビルが林立していた。一つ一つのビルの底地の面積が大きなデパートかそれ以上くらいあるイメージで、高さはもっともっとあって密集しているため、スケールの大きさに圧倒される。
自分がミニチュアの人形になって人間界に放り込まれたみたいな気分になり、「摩天楼」の言葉の意味を初めて実感した。

でも圧迫感がなかったのは、土地が広いためか、のっぺりした建物ばかりでなく古典的なものからアール・デコまで美しい装飾が外壁に施された建物が多く見飽きないためか。

  
  
写真中左は、1930年に建てられたクライスラービルの上の方。ここにはクライスラー社は既になく、1階のロビーしか公開されていないけれど、これまたアール・デコの真髄といった装飾品が外にも中にも沢山あった(写真中・下)。

時間がなくて街をあまり見て回れなかったのが残念。次はニューヨーク近代美術館MoMA)やグッゲンハイム美術館グラウンド・ゼロ(ワールドトレードセンター跡地)、自由の女神等もぜひ訪れたい。
でもメトロポリタン美術館には行き、日本で展示されたときの暗い照明とは大違いの蛍光灯の下でフェルメールの《リュート調弦する女》(参照:http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20081014/p1)に再会したりエル・グレコの《The Vision of Saint John》の冷めているのに鮮やかな色彩や衣服の光沢感、空気の渦巻きうねり感にうっとりしたりした。
ここも、外からだけ眺めたグッゲンハイム美術館も、閉館後は1階のロビーに制服姿の警備員さんたちがわらわらと何十人も集まっていて、(何これレセプションパーティー?)と一瞬思ってしまったくらいだった。人件費潤沢なのねきっと……。


一つ一つの場所の滞在は短時間で限られた場所しか見ていないのだけれど、今回の旅行では、どこのホテルにもコーヒーだけでなく「デカフェ(カフェインレスのコーヒー)」が常備されていたり、マイアミの空港に車椅子が沢山置かれていて、実際車椅子で旅行している高齢者の方々が大勢いたりしたのも、いいなあ、と思った。

スペイン語圏の国に近いマイアミに限らず、スペイン語を話す人がすごく多いのも驚いた。全部の職業でというわけではないかもしれないけれど、見た範囲では、ホテルの客室係、タクシーやシャトルバスの運転手など肉体を使うサービス業系の人たちに、同僚同士の会話をスペイン語で行っている人が沢山いたのだった。

ごくごく簡単なスペイン語会話の日本語訳をタクシーの運転手さんに伝えたら、笑顔で、渋滞時に運転しながらノートに書き取っていたのも印象的。事故にならないでほんとに良かった。