具体例でいろいろ考えさせられる マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』

何かと話題になっている、ハーバード大学教授マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(鬼澤忍訳、早川書房。以下、「同書」と略。)を読んでまず思ったのは、(自分は何て原始的な生き方をしているんだろう)ということだ。

特にショックを受けたのはカントの考えだ。
カントは、行動が道徳的に正しいといえるためには動機が「正しいことを正しい理由のために行う」(同書146頁)義務の動機でなければだめで、私利、必要性、欲望等のために行う行為は道徳的に価値がないと主張する。

我が身を振り返ると、どうーーーしてもやらなければならないことはやるけれど、そのほかのことは、法的にまずいこと以外は快か不快か、やりたいかやりたくないかだけで実行するかどうかを決めていることがほとんどで、「それは正しいことか、正しい理由のためか」なんて考えたことがなかった。カントによると「善行で喜びを感じる」でも、動機としては道徳的な価値にに欠けるのだ。厳しいなあ、と思って、これまでの行為の動機を超えた「目的」をあれこれ考え直してドキドキしたり胸を撫でおろしたりした。

だが厳しいのはもっと先。自由とは自律的であることで、「無条件に、つまりほかに考慮すべき目的や依存する目的をいっさい持たずに何らかの行動を命じる」(同書156頁)定言命法に従い自律的に行動するためには、「すべての人間の人間性をそれら自身を究極目的として尊重する」ことが必要であり、例えば友人を家にかくまっているときに戸口に来た殺人者に対しても、「友人はここにいない」という嘘をついてはいけないというのだ。

ただし、「一時間前、ここからちょっと行ったところにあるスーパーで見かけました」(同書173頁)といった、「真実ではあるが誤解を招く表現」(同書173頁)なら許容範囲らしい。

ふだん夫が「嘘をつかずに真実を言わない」のが上手い(彼の名誉のために言っておくと信義則違反はこれまでのところ私の知る限りないのだけれど)ことについて、それってどうなの、と思っている自分にとってはこの点は納得しがたい。クリントン元大統領の例も示されて、「究極的には正当化できないかもしれない」(同書180頁)と言いつつ「誤解は招いても嘘ではない言葉は、真っ赤な嘘のように聞き手を支配したり操作したりはしない」(同書179頁)と言われても、何だかなあ、と思い、でもそのモヤモヤ感が再読を促してしまうという不思議な循環があった。


ほかに印象的なのは、ロールズの考える社会契約すなわち正義の原理は、自分の階級、性別、人種、強み、健康状態、学歴、信念等についてや「全員が「無知のベール」をかぶった状態で」(同書184頁)選ぶ原理だということ、また、そこで認められる社会的・経済的不平等は「社会で最も不遇な立場にある人びとの利益になるような」(同書185頁)もののみだということ。でも、これらは具体例にも出てくる「志願兵制」や「代理出産」(本書で、志願や代理出産をする人の選択が、経済的な不平等から強制されている面があると指摘されている)に当てはめるとなかなか難しいようにも思う。

ロールズは、努力すら恵まれた育ちの産物だと言う」(206頁)も、そういう側面はあるかも、と思った。そして、才能や生育環境なども自然の事実にすぎず、「公正か公正でないかは、組織がこうした事実をどのように扱うかによって決まる」(215頁)というロールズの考え方は、(じゃあ扱い方の基準はどういうのなの?)ということをまたもや自然に考えさせる。サンデル氏の構成、上手すぎ。


正義についてアリストテレスの言う「目的因(目的、最終目標、本質)」(同書241頁)と「その営みが賞賛し、報いを与える美徳は何か」(同書241頁)という考え方も面白い。これを読んだあと、夫の行動に腹を立てたときに目的に立ち返って考えてみると、別に腹を立てることでないな、とか目的からすればそれも筋が通っているな、と思うことがいくつか実際にあって、何と家庭の円満な運営にも資することに驚いた。

その後の方の「道徳的責任の三つのカテゴリー」(同書291頁)や「コミュニティの独立の核」(299頁)に何が該当するのかは、ちょっとやそっと考えても答えが出ないところがある。米国と日本では、国の成り立ちも違うしなあ、と思う。

価値観が多様な社会で行政府が何かの判断を下すには、議論と傾聴を重ねつつ対象の利益を保護する理由としての「共通善」を考えることが重要、と言うのは肯ける。けれども、はたして例示された同性婚を認める判決に見られる「結婚」の「共通善」(結婚したパートナー同士の独占的で永続的なかかわり合い)のように、何でもかんでも簡単に「共通善」が見つかっていくものかしら、という懸念はある。

なお、ここに書かれた具体例は、移民の受け入れなども含め、今はそれほどでなくても将来的には、日本でもさらに真剣に討議されざるを得ないものが多いのではないかと思った。

若くしてこの本を読んでいたら今頃もっと考える人間になっていただろうとは思うけれど、年齢を重ね、いろいろな迷いや決断を経てから読むのもまたいい、という本だと思う。