《星降る夜》 オルセー美術館展1

過日行ってきたオルセー美術館展では、フィンセント・ファン・ゴッホの《星降る夜》が圧倒的に良かった。北斗七星が出ている夜のローヌ河畔の風景で、新聞や雑誌で見ていたときにはそうも思わなかったけれど、本物は、絵の具の盛り上がりが立体感を与えていた。

黒みを帯びた濃紺の空のほぼ中央に色が少し淡い、セルリアン・ブルーがかったところがある。そこは横長の筆触で煉瓦でも積むみたいに丹念に色が塗られているのが、ほかのところよりもよくわかり、ブリの照り焼きの「照り」みたいな感じで光っている。それがまず目に入った。

星も、飛行機から見た雪の富士山とまではいかないが、白い絵の具が中央でかなり盛り上がっていて質量感がある。レモンイエローの放射状の輝きの下、それぞれの星の輝きが川面で縦方向に長く揺らめく筋となっているそばで、画面中央からやや左手に、水面に映った街灯か何かの光がバーミリオンの点として表されているのが、ものすごいアクセントになって画面を引き締めていると思った。

星の光もかなり強烈で暖かみがあるけれど、このバーミリオンの光は、クサい言い方だが「希望が凝縮されている光」に見えた。見ている自分自身の投影ではないのが悲しいところです、はい。なお、バーミリオンの光は、印刷物ではよく再現されていない。

印刷物と違う点と言えば、手前の岸壁が海に落とす影や停泊している船の黒い色も、本物は黒曜石のように際立っていて、ああ、夜の川や海ってこんな感じだよなあ、としみじみ思った。岸壁からさらにこちら、画面の外に向かおうとしている一見老夫婦風な恋人たちの女性の衣服に使われた赤も効いていたし、ゆるやかなカーブを描く湾かと見紛う川もずいぶん広々として見えた。

先日TVで、ゴッホは実際に目の前にあるものしか描けなかったけれど、ゴーギャンとの短い同居生活ののち、彼に倣って実際にはないものも想像して構図に採り入れることを試みたと言っていた。この絵にもそうした要素はあるのだろうか。恋人たちかとも思ったけれど、彼らは実際に存在したみたいだ。とすると川面に映る星の光あたりか?
と思っていたら、カタログ『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』115ページに以下の文章が。

画面左側には、アルルの街が見えることから、ゴッホは川のほとりで南西方向に向かってこの場面を描いたようである。しかし、大熊座は北の方角に見えるものなので、この作品は現実をそのまま描写したものではない。

そこかよ! 
大胆に画面を構成しているんだなあ、と思った。同時に見えていないものを見えているようにつくるのは、けっこう大変そうだ。

それにしても、想像していた鬱陶しさも暑苦しさもなく画面全体が、さまざまな光が細やかに揺らめく静謐な空気に包まれていて、本当に何度も見たくなる絵だった。実際に何度も絵の前に戻って見つめてしまった。

公式サイトで《星降る夜》が見られるページ:http://orsay.exhn.jp/work5.html
8月16日(月)まで。
ルソーの《蛇使いの女》もとても良かった。別途書きたいと思う。