画風の変遷  レンピッカ展

だいぶ前に、「美しき挑発  本能に生きた伝説の画家  レンピッカ展」を渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに見に行った。


タマラ・ド・レンピッカ(1898−1980年)の名前を初めて知ったのは高橋幸宏が好きなアーティストとして挙げていたときで、ああ、アール・デコの作家なんだなあ、と思った記憶があるが、彼女の作品の実物を見たことはなかった。


ワルシャワの裕福な家庭に生まれ(モスクワ誕生説あり)、1917−1918年のロシアの10月革命で夫であるタデウシュ・ド・レンピッキ伯爵が投獄されるとフィンランドに亡命。
出獄した夫とのちに合流してパリに住み、1920年代には精神を病み働かなくなった夫を支えるため絵で生計を立て画才を発揮するも、1928年に離婚。
男女を問わず恋をし、1934年に自分の作品のコレクターであるクフナー男爵と再婚、重度の鬱病に苦しみつつ宗教的作品を制作、1943年にニューヨークに移住、画風を変え静物画などを描き、1961年の回顧展は失敗となったが1972年頃から再評価され、メキシコのクエルナバカに定期的に長期滞在、1980年に逝去。

と、作品リストの年表や解説に書いてあった主な事柄だけでも波乱万丈な人生が窺える。遺灰は遺志に従い、活火山ポポカテペトル山の火口付近に撒かれたそうだ。


特に目を引いたのはやはり1920−30年代の、体に密着した衣服や船・ビルなどの背景が幾何学的な直線・曲線で描かれ、光っているところと陰になっているところとのコントラストがはっきりしたメタリックな輝きを帯びた作品群だ。

チケットやチラシに印刷されている緑の濃淡と白が印象的な《緑の服の女》も良かったけれど、対角線を活用して画面をぶった切った構図と、濃いオレンジのストール及びシルバーっぽいホワイトのドレスのうねりが目に突き刺さってくる《イーラ・Pの肖像》(イーラ・ペローは当時の愛人)、不安定な椅子に掛け読書を中断してこちらを射るような目で見上げる、左の靴だけ脱いだ一人娘の肖像《ピンクの服を着たキゼット》が良かった。《ピンクの服を着たギゼット》では、腰の辺りのうすいピンクと水色、白が服のラインを立体的に見せていて、スカートに血かと思うような色みも微かに見られ、『ロリータ』の表紙に使われたというのも頷ける。


離婚直前に描かれた夫《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》の前では、動けなくなった。この絵は大変に大きく、絵葉書やパンフレットやTVで見たときには特に何も思わなかったけれど、実物は迫ってくるようなすごい力を持っていた。自分への愛情が消え、神経を病み疲れた表情をした夫をきちんと見据えて描いていると思った。
離婚直前なので、結婚指輪を嵌めないまま左手は塗り残されているけれど、上がった眉と少し落ちくぼんだ上目遣いの大きな目が特徴的な顔はもちろん、コートのボタン一つ一つまで丁寧に描かれていて、レンピッカの夫への強い思いが伝わってくる気がした。TVの紹介番組でも、レンピッカは離婚後もこの絵を手元に置いていたと言っていた。

今度書こうと思っているマネ展でも思ったけれど、「作家の創作対象への思いの強さ」(のように感じられるという錯覚、なのかもしれないが)って、どういう経路で自分に伝わってくるんだろう。ほかの絵だって丁寧に塗られているがこの絵だけ(気合いがぜんぜん違うなあ)という感じなのだった。文章でも、そういうことがあるのだろうか。


ほかに、洞口依子さん主演の映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の一場面を彷彿とさせるような、若い女性が白地に赤い花模様のベールをかぶった《ポーランド娘》も、カタログのに比べえらく色みが悪かったけれど印象的だった。


時代によって画風ががらっと変遷していて、再婚後、鬱病に苦しみながらの時代は、夫のコレクションであるフランドル・オランダ北方絵画に影響された茶色っぽい陰鬱な絵が続いていて、見ていて息苦しくなった。ニューヨーク移住後の絵にも、ほかの画家たちの絵を参考にしながらの試行錯誤の跡が感じられた。年下の芸術家の男性とともに大きく口を開け、心底楽しそうに笑っている晩年の写真があって、ほっとした。

5月9日(日)まで。
公式サイト:http://www.ntv.co.jp/lempicka/