『朗読者』

7月に見た映画「愛を読むひと」(http://d.hatena.ne.jp/rvt-aa/20090702/p2)の原作『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク著・松永美穂訳 新潮文庫)の感想を、忘れないうちに。
・映画の方が、ミヒャエルがハンナを拒絶する気持ちがはっきり描かれている分、「わかりやすい」。小説の方が思慕の情が強く出ているが、ミヒャエルの優柔不断さにベールがかけられてしまって、優柔不断であることのずるさや罪が、ハンナが「本来すべきなのにしなかったこと」の罪に比べて見えにくくなっている。

・収容所を見に行って何を思い、考えたか、は小説の方がよく描かれている。まー当然か。

遡及効による処罰を禁止すべきかの議論や、以下の、「法律の歴史についての考え」もとても印象に残った。関心のある法が制定されたり改正されたりするたびに思い出すだろう(忘れていなければ)。

ぼくは長いあいだ、法律の歴史には進歩があるのだと信じていた。恐ろしい反動や退行はあっても、一方にはより美しく、真実で、合理的で、人間的なものへの発展があるはずだ、と。そんな確信が幻想に過ぎないことに気づいて以来、ぼくは法律の歴史について別のイメージを抱いている。法律はある目的に向かって発展してはいくが、多種多様な揺さぶりや混乱、幻惑などを経てたどり着く先は、結局またもとの振り出し地点なのだ。そして、そこに戻ったかと思うと、またあらためて出発しなくてはいけない(同書206〜207ページ)。

ハンナのようにあとから糾弾されることとなるとしても、法の改正や運用に携わる者は原則としてその時点の「法」をもとに考え判断せざるを得ないのも事実なので、なるべく過ちを犯さないようにするためには、法の制定・改正時にはより多くの材料をもとにより多くの想定を行うことが必要だろう。しかしこうして書くとまぬけな感じ。

(なので、10月3日に以下の数行を追加しました)
例えば、
1 何かを規制することで守ろうとしているものは、本当にそのような規制方法でなければ守り得ないものなのか、ということや、
2 規制が考えられる対象と類似のもので規制されていないものの有無や、「有」の場合それはなぜなのか、ということ、
3 規制しないことのメリットの有無、
4 内心に踏み込む規制であれば、人間が心に抱くことと実際にとる行動との間の距離をきちんと考慮しての規制であるか、ということ
は吟味されるべきだと考える。 

運用時には「最後は信念に従う」といったところか。しかし、殊に扶養家族がいる場合など、多大なリスクを負ってまで信念を貫くのはものすごくエネルギーが要ることでもあるだろう。

・教会の火災に関しほかの元看守たちや、看守たちの行動を見つつやはり扉を開けなかった村人たちがハンナをスケープゴートにしようとするのに対して、ハンナが用いる主語が「わたしたち」であることも胸に迫ってきた。特定の集団の一人として自分自身の行動に疑いを持たないことの恐ろしさも、本の方が、読み終わってからもしんしんと感じられた。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)