汗と緑とアート 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009 1

過日、新潟県の越後妻有地域(十日町市津南町)に、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」を見に行った。
川西・十日町・松代・松之山・中里・津南の各エリアを合わせて東京都23区よりも広い里山約760キロ平方メートルの中に約370点のアート作品が点在しているため、ツアーの観光バス(何種類かある)を使っても、かなり山道を歩きながら作品を見ることになり、サウナに入ったように汗だくになる。だがそこがいい(笑)。


私は何もなくて自分から進んで山に行くことはまずないので、アート作品がなければ山に行くこともたぶんない。
でも、行くと棚田や普通の田の明るい黄緑やところどころ赤やオレンジも混じる山の濃い緑、地域や地域外の人々を迎えるために昔から人々が植えているという色とりどりの花、草の匂い、温泉などから元気をもらえる。

また、空家や廃校、土や植物など現地に従来からあるものを生かしたアートが、朽ちたり取り壊されて失われたりするはずのものに新たな生命みたいなものを吹き込んでいるのを見ると、改めて自分もがんばろうという気持ちになる。これは、ほかの歴史的建造物が保存されながら活用されているのを見るときと同じような気持ちだ。アートの方が、いい意味で時に「ざらざらした感情」をも引き出す気がするけれど。


もちろん、いいことばかりではないだろう。バスから目が合ってしまった地元の方々の表情にたまに困惑のようなものが読み取れるし、2000年に大地の芸術祭を始めるときなどの地元の方々とスタッフとの軋轢も、読んだり聞いたりしたことがある。
ただ、作品づくりやその後の作品の維持に地元の方々が一緒に取り組まれたり、地元の方々がものすごく作品を大事にしておられる例を見聞きすると、やはり意義はあるのだ、と思う。


個別の作品のうち、印象が強かったもの。
・ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《ストーム・ルーム》:外が晴れていても、空家になった歯科医院の中で嵐や雷を体験できる。私がぽけたんと見ている間に、夫はパイプや穴などの仕組をちゃんと見ていた。


・行武(ゆきたけ)治美《再構築》:2006年の作品なので、冬の雪の重みに3回も耐えて残っていることにまず感動。家全体が何千枚もの丸い鏡に覆われていて、それらがすべてピカピカなことに、作家・地元の方々・スタッフ・こへび隊やおおへびと呼ばれるボランティアの人たちの尽力がしのばれる。夫に言われて初めて、鏡が針金のようなものでちょっと浮いた感じで壁に取り付けられていることに気づき、またまた自分のぼんやり加減を思い知る。角度によっては鏡が真っ黒な穴みたいに見えるところも。


・山本想太郎《建具のニワ》:障子の桟の中を歩くのが難しく、歩いているうちに縦のものが横になっていることをだんだん実感した。
夫「歩きにくくなることで見方が制約されるが、(横にはなっていても)まだ『縦』に縛られている」


東京電機大学山本空間デザイン研究室+共立女子大学堀ゼミ《うつすいえ》:2006年の空家プロジェクト《小出の家》の、セミナーハウスへの造り替え。昼に色とりどりの星が見え、それらの星や外の草木が床に映る。開いた戸口から見える外の景色が絵画のようでもある。とても良かった。そして涼しい。2階には机と椅子がある。夫「2階から見ると、1階で見ている人も作品の一部みたいで面白い」(←初めて、『面白い』という言葉が出た)


・富山(とみやま)妙子《アジアを抱いて−−富山妙子の全仕事展 1950-2009》:《帰らなかった少女》のシリーズと、いくつかの絵の赤い色が印象的。日本より韓国での方が有名なのもしかり、とも思った。昔、内臓疾患で六人部屋に入院したときに、同室のいつもにこにこしているかなり年配の女性が夜中になると悪夢にうなされるのか、日本語ではない言葉で毎晩うわ言のように何かを叫び続けていて、言葉はわからなくても聞いていて毎晩、胸が苦しくなったことを思い出した。誰も触れない、口に出さないことを表し、残すのもアートの一つの役目だと思う。


・出月(いでつき)秀明《森とつながる》:森の中、高さ5mのところに直径16mの大きな赤茶色のリングが設置されている。ぱっと見、リングがどのように取り付けられているのかよくわからなかった(吊っているようなのだが浮かんでいるみたい)。とにかくすごく気持ちいい!! 立っているだけでエネルギーをもらえてパワースポットのようで、日頃「自然の前では人間は無力だ」ということを痛感していながらも、「自然に内包される、癒される」ということを一番強く感じた作品でもある。森に溶け込んでいるリングから草が生えているのもいいし、森の木々の葉が日の光を透かしているのもきれい。


・内海昭子《たくさんの失われた窓のために》:大きな白い窓の中で白いカーテンが揺らめいているのが、濃淡さまざまな緑や空に映える。これも気持ちいい作品。「風」を改めて目に見える形で感じることができるし、私が行ったときには近くの草の上にシロヒトリという蛾の死骸が落ちていて、その羽の白さ・軽さがカーテンにも通じているように思えた。窓の手前の階段を上ると、窓と同じ高さで風を感じながら「借景としての里山」を見られる。


・蔡國強(ツァイ・グオチャン)《ドラゴン現代美術館》&馬文(ジェニファー・ウェン・マ)《何処へ行きつくのかわからない、でも何処にいたのかはわかる?》:蔡國強(ツァイ・グオチャン)が2000年に中国の登り窯を移築して作った《ドラゴン現代美術館》を使っての作品。前回、ほの暗い明るさの中で煉瓦のアーチ形が遠くまで連なるさまが心に染みていて、そこに鏡が取り付けられるとどんなことに? と期待していたので、作品が、鏡でなく墨汁を用いた作品に変更されていたのはちょっと残念だった。こへび隊のバスツアーガイドさんによれば、馬文は現地を訪れて、「何か違う」と作品を変えることにしたとのこと。
しかしながらこんなふうに、実際に現地を見て、「土地やそこにあるものに合わせて」作品を変えるというのが「あり」だ、というのも大地の芸術祭の面白さの一つだとも強く思う。


9月13日(日)まで。
「まわり方・すごし方」の案内もある公式サイトはこちら:http://www.echigo-tsumari.jp/2009/


ガイドブックは必携と言えると思う。


なお、清津峡で昼に食べたミョウガの漬物(醤油+味醂漬けか?)、トウガンの甘酢煮が大変おいしかった。ミョウガは好きだが、漬物にする発想はなかった。

また、東京と違い夜は本当に真っ暗になってしまうので、「国道」を走っていても街灯もなく「闇が怖い」という感じだった。日中はそれほどでもないヘアピンカーブも、見通しが利かないと本当に怖い。
左の写真は、「なだれ(雪崩)注意」の標識。恐ろしいなだれが、かわいすぎ。
(つづきます)