檸檬は放らないけれど


お茶の水の聖橋(1927年、震災復興橋梁)。たぶん、反対側の御茶ノ水橋の上から見た、神田川と聖橋とJR御茶ノ水駅ホームとJR中央線がワンセットになった写真の方が多いと思う。川岸の緑も見えてきれいだし。右は、そのたもとで見た光景。
最近造ったと言われても信じてしまいそうな、モダンな鉄筋コンクリートの橋だ。

隣りの秋葉原で起こった殺傷事件のことを今はどうしても思い出してしまうけれど、子供の頃は、御茶ノ水駅のホームからどでかい聖橋を見て、昼でも真っ暗な小アーチのなかに入って眠ってみたいと思っていた。炎天下では、特に涼しそうに見えた。ふだん、子供は純心だなどとは少しも思わないが、煤だの埃だの黴だの頭になくそう思えたというのは、ちっとは純心だったのか!? 単に疲れた子供とも言えるけれど。

この橋はさだまさしの『檸檬』という歌にも、レモンや夢を放る場所として出てくる(実際に放るのは危険です)。
何年か前に、夜、ライトアップされた聖橋を見ながら女友達二人と喋っていたことがある。風が気持ちいい晩だった。一人が海外旅行に行く前だったことくらいしか話の内容は覚えていないのだけれど、本当にいい時間だったなあ、と思える時間だ。そういう時間が、加害者の人に少しでもあれば違ったのだろうか、と考えがまたそこにいってしまう。