つくられる音

 これまで、自分にとって音楽とは、聴くものであり、また、拙い歌や演奏で人に伝えたり自分で楽しんだりするものであり、そこに「つくるもの」という認識はなかった。


 けれども最近、小さなアナログシンセサイザー(写真)が付録についている『大人の科学マガジン別冊 シンセサイザークロニクル』(学研教育出版)と、KORG MS-10という少ない鍵盤とたくさんのつまみがついた30年ほど前のアナログシンセサイザーを元に開発された、ニンテンドーDSで動くシンセサイザーのソフト『KORG DS-10 PLUS Limited Edition』を買って、考えが変わった。


「この音はどうやってつくられているのか?」ということを、YMOイエローマジックオーケストラ)等の音楽を聴いているときに考えたことはなく、これは、ものの仕組みがどうなっているかに従来あまり関心がなかったという恥ずかしさの露呈の一つなのだけれど、これらのシンセサイザー(以下、この記事ではソフトも含む)は、「三角派、矩形波といった波形で音程の揺れがどんなふうに違うか」や、「Attack(立ち上がり)、Decay(減衰)の長さを変えると音色がどう変わるか」などを原始的なところから具体的に体感させてくれる。


KORG DS-10 PLUS Limited Edition』の方は、キーボードのみならずドラムの音をもつくることができてそれらを同時に演奏することもできるから、音や音楽をつくっている要素はかくもたくさんあるのか、そしていわんやその組み合わせをや、ということに、いっそう興奮する。といってもまだ、取扱説明書を見ながら青息吐息だけれど。


 まだ中学生の頃、シンセサイザーのメーカーのショールームに行ったときには、小型といえどもそれなりの大きさに感じられつまみもたくさんあるシンセサイザーの機械機械した風情に圧倒され、下手に触ると壊すのでは、という思いもあって、オートマチック車のシフトレバーみたいなベンダーをおそるおそる上下させ音をウィ〜ンとうねらせるのが関の山だったことが懐かしく思い出された。


 当時の関心と憧れが長い時を経て歩を進めた、といえば聞こえはいいが、そのときそのときで世に出ているシンセサイザーに取り組む、という選択肢は確実にあったわけで、金額的なこともあったとはいえ要は約三十年ほったらかしにしてしまったのだった。


 不確かで申し訳ないが、洞口依子さんのデビュー作である主演映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の中には、「音楽は、音と音との関係で成り立っているのではない。音楽には、単純に、いくつかの音があるだけではないだろうか。それゆえ音楽だけが、どんな関係の罠の中にあっても勝利する」、「言葉には絶対がないが、音楽には絶対音がある」というような台詞があったように記憶している。映画の人物たちも、さまざまなディスコミュニケーションを見せながら、ばらばらと動く。けれどもアナログシンセサイザーをいじっていると、一個一個の音も限りなく微分できそうだし、音と音との間にも無限の音がずるずる詰まっている感じがする(もっと音楽や哲学などの知識があれば、ここで感想が止まらないんだろうなあ……、と『S.E.VOL.3』(参照:http://d.hatena.ne.jp/leftside_3/20091219)のかつとんたろうさんの評論「メディア、親しくさせるものとして」を思い出した)。


 アナログでこうなら、最初からデジタルシンセサイザーで音や音楽をつくるとどうなってしまうのか?


 そんなこんなで、「音そして音楽をつくる」ということににわかに関心が湧いた私は、所属同人「左隣のラスプーチン」の安倉義たたたさんとmahakoyoさんが同人音楽やボイスドラマについて寄稿している本『同人音楽.book -2009 Winter-』(同人音楽同好会)(詳細はこちらをどうぞ:http://d.hatena.ne.jp/leftside_3/20091216)を買いに、急遽、コミケコミックマーケット)なるものに生まれて初めて行くことにしたのだった。


 年末ということで普段より念入りに掃除機をかけてから行ったのがそもそもの大まちがいで、たいへん遅く到着した上に、建物に着いてから会場までが予想外に遠くて迷子状態になってしまった。でも、終了十分前にカタログを買い目指す売場を確認、「終了〜!」の声が響いてまもなくやっと売場にたどり着いて同人誌を買えたときは、本当にうれしかった。


 「同人音楽同好会」の方にもご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでしたが、楽しみに読ませていただきます。


 それでは、皆さま、今年もいろいろどうもありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。