四谷見附橋


溜まっている素材消化のため、また2月に行ったところの話になって恐縮だが、JR四谷駅前の、四谷見附橋(1913(大正2)年)。上路アーチ橋なので、道路の下は線路を跨ぐ感じでアーチ形になっている。

『建物の見方・しらべ方 近代土木遺産の保存と活用』(文化庁 歴史的建造物調査研究会編著 ぎょうせい)によれば、700mも離れた赤坂離宮(現迎賓館)との間に「様式(ネオ・バロック)を一致させた「地域環境デザイン思想」」(「」内は同書より引用)があるとのことで、そんな時代から日本でも地域全体のデザインが考えられていたのか、と思うと何だか嬉しくなる。

けれども1980年代に橋は街路整備事業の関係で架け替えられ、多摩ニュータウン長池地区にほとんどが移設保存されたそうだ。だから元の橋のうち「本物」が四谷に残っているのは、写真左の高欄や、写真右の橋灯など。
その他の部分は新しくなってしまっているので残念だし、新しいところと古いところのつぎはぎ感も否めないが、歳月を感じさせる瀟洒で精巧なデザインのものが現役でいる姿を見られるだけでも良しとするか。橋灯なんて上の方だけでなく根元のデザインも素敵。

でもやっぱり、部分的に保存してあとのところはイメージ保存で、というのではなくて、なるべく全体的として忠実に元のものを残すかたちで保存・活用がなされてほしいところだ。

鳩山総務大臣が保存すべきと声を上げた東京中央郵便局旧庁舎だって、保存部分が当初予定より増えると言っても、元々内部まで保存すべき重要文化財の価値があるところを外観保存でいい登録文化財にする方向で、というのが落とし所だし。

話が逸れたが、この四谷見附橋の保存に当たっては、住民の請願も大きな力を果たしたらしいのが印象的だ。

橋灯には、「建設省」の文字が入ったシールみたいなものが貼られていた。「建設省」という役所ももうないんだよなあ、としみじみしてしまった。