猫と鶏とキーライムパイ

キーズラインシャトルバスの終点キーウェストは、マイアミともまた全然違うのんびりした雰囲気の所で、お年寄りが多かった。でもホテルの部屋の窓側のドアには、ハリケーンが来た時用の鍵がついていた。

また、町を普通にニワトリが歩いていた。鳥類ハンティングは禁止されているそうで、そのせいか人を見ても逃げない。夜、「チキンのマルサラ酒煮」を食べたが、ここの鶏ではないのだろう。


米軍基地を除けばアメリカ本土最南端のサザンモストポイントのモニュメントを見、90マイル(約145km)先のキューバは海を眺めても全く見えないなあと思いながらそのまま歩いて、アーネスト・ヘミングウェイが1931年から約8年暮らした「ヘミングウェイの家」へ。

現在博物館として公開されているその家は、1851年に建てられたスパニッシュ・コロニアル調の建物で、ルソーの絵かと思うような、濃い緑の葉が生い茂る植物に囲まれている。白や緑がかった黄色など、色も庭の風景と調和している。回廊式のベランダは風通しが良く気持ちいい。
彼はここでは二番目の妻ポーリンと生活していたそうで、最初の奥さんから最後の奥さんまで、4人の妻の写真に囲まれた本人写真もあった。

彼が大変な猫好きだったため、ヘミングウェイ邸には今でも猫が沢山いた。
  
庭を闊歩するばかりでなく、写真右のように主寝室のベッド(ヘッドボードは、実は古いスペインの修道院の門扉らしい)で堂々と眠ったりもしていた。
夫妻が丹精込めてつくったらしい猫用水飲み場もカラフルな装飾タイルで飾られていて、水鉢にヘミングウェイの友人が経営していたバーの男性小用トイレが使われているとは、説明がなければわからなかった。


町の北側には行けなかったのだけれど、南側の私たちが行った所では日本人はおろかアジア系と思われる人を全く見なかった。

沢山の人が夕陽を見ている波止場で、現地の方らしい壮年男性に、「今何時?……どこから来たの? 韓国?」と訊かれたので「日本からです」と答えたら、へぇえ、という顔をされた。


夜、キーウェストを舞台にしたものも載っているヘミングウェイの短篇集を読み始めたら、何だかすごい鬱状態で書かれたものみたいで(あれ……)と思った。強い陽射しや青空、波の荒い海とは対照的な繊細さや不安感・孤独感が真っ先に伝わってくる感じで、こんな状態で住んでいたなら、どこかへ脱出したくなっても仕方なかっただろうと思った。

でも、帰国後『老人と海』を再読し、(そうそう、朝の海の光はほんとに目が痛くなるんだよね!)などと思い返すこともできた。老人サンチャゴが海で一人でいるときに、心を開いている少年のことを、あの子がいてくれたら、と折に触れ思い出すところは、以前だったらぐっと来なかったかもしれない。


翌朝、オープンテラスの食堂兼よろずやで食べたキーライムパイが絶品だった。鳩と一緒にニワトリがおこぼれを食べに来ていた。