ハンマースホイ展

過日、友人と上野の国立西洋美術館に「ヴィルヘルム・ハンマースホイ―静かなる詩情―」展を見に行った。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)はデンマークの作家で、その作品は彩度が抑えられたくすんだ色でできている。コペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地のアパートの室内で黒い服を着た妻イーダが後ろを向いている作品が多いのだが、似たような構図でも、細部がいろいろ違っていた。
実物を見てまず思ったのは、(思っていたより筆致が粗いな)ということだった。柴犬の毛並みをそばで見たときの感覚に似ている。けれどもちょっと離れると女優の皺を隠すため紗をかけたトーンで撮影したときのような、フェルメールの絵にも通じるふわっとした感じに見えるので不思議。
また、「(エドワード・)ホッパーの絵より暗い色調なのに、ホッパーの絵の方が人を拒絶してる感があるのは何でだろう? 見る側だけの問題かもしれないけど」と友人にも言いながら見た。結婚前のイーダを「虚ろな、イッちゃってる」表情で描いたり、38歳の彼女の顔を50代後半に見える50ドル紙幣の肖像並の緑色(!)で描いたりと、奥さんに対する愛情を疑う絵もあったし、たいてい後ろ姿だから実は妹を含めた別の女性も投影されているかもしれない(と思うあたり私の心が汚れているせい? でもマザコン、シスコンを髣髴とさせる絵もあったのである)けれど、これだけ繰り返し描いているということは、愛がなかった、ということではないのかもしれない。物語排除を目指したというからその延長か。それにしても白い台形のうなじが富士額ならぬ富士うなじという感じで目に焼きつく。
どこを省略しているか、というのがけっこう気になった。パンチボウルの植物の模様、壁やドアの直線的な装飾、床の色剥げなどが作品によって、あったりそっくりそのまま消えていたりするのだ。ピアノが壁から生えている、というのも省略の一部なのだろうか。高い視点と低い視点を一つの絵に同時に組み込んだ絵もあって面白かった。最後のコーナーの、「居間に指す陽光3(←ローマ数字が出ない)」を初めとする人のいない室内の絵は、特に生き生きして見えた。
「ピアノを弾く女性のいる室内、ストランゲーゼ30番地」という作品は、白いテーブルクロスの折皺とその影のコントラストや、テーブルの手前と向こうに、巨大なバターが載った皿を挟んで斜めに置かれた二枚の白い皿が胸を衝いた。皿に胸を衝かれるなど、本物を見るまで想像もできなかった。
また、「リネゴーオンの大ホール」は、漆喰装飾のある白い天井と壁がほのかなピンクやチャコールグレーも交えて描かれていて良かった。薄暗いホールのドアが開かれた先にある窓の光が一筋、画面を引き締めていた。写真は、その絵とは違うけれど漆喰装飾のある上野駅の天井と壁。この回廊はギャラリーとして使われている。

展覧会サイト http://www.shizukanaheya.com/exhibition/index02.html