大琳派展

過日、友人と東京国立博物館「大琳派展―継承と変奏―」を見に行った。知識がなかったため事前に読んでいった『BRUTUS 10月15日号』の特集「琳派って誰?」も親切設計の楽しめる特集だったが、本物の屏風等は圧巻だった。

風神雷神図屏風」は俵屋宗達尾形光琳酒井抱一、鈴木其一の各作品が一堂に集まっていた。同じテーマを描いているけれど前に描いた者の絵を継承しているところ(構図)も変化させているところ(紙に描くか絹に描くか、神の目線、雲の感じ、リボン状の羽衣の色、腕の筋肉など)もある、という点では、一連のガンダムや、また、アニメのEDのあと等に出てくる、どうしても用語が思い出せないのだが「原作者以外の漫画家がそのアニメのキャラクターを描いてみた絵」、漫画同人誌のいわゆる二次創作、にも似ていると思った。

四人ともそれぞれ描く対象によって得意・不得意があるんだな、というのがわかってほっとした。名も知らぬ後世の素人にそんなこたあ言われたくないだろうけど。例えば光琳は花や草は抜群だけれど人はうーん、という感じだとか、抱一は風に吹かれている草木や花がやたら上手いとか。けれども俵屋宗達は植物も人も動物も波も全部上手くて、セザンヌの山の絵みたいなぼわぼわっとした色遣いからナデシコの花びらの細密なぎざぎざまであって驚いた。
殊にインパクトが強かったのは波が描かれたもの。波の絵はほかの作家も描いていて、抱一の「波図屏風」は銀と緑青の青みを生かした大きな絵で太い線で描かれていて、怖くない。光琳の「波図屏風」は細かいしわしわな線で描かれており、左手前には「楳図かずおみたい!」と小声で叫んでしまった、『14歳』のチキン・ジョージが生まれるところのような「目からくる怖さ」がある。けれど、宗達のは、たぶん「唐獅子図・波に犀図杉戸」の「波に犀図」の方だったと思うのだが、白く塗り込められた波頭が、指が曲げられて何かを掴もうとしている手みたいで、「襟首を掴まれそうな、背筋からくる怖さ」があるのだ。夜中に目が覚めてそばの襖にこんな絵が描いてあったら、私はぎりぎりまでトイレに行けません。
なお、友人の指摘でなるほど!と気づいたが、本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は「失敗が許されない」緊張感溢れるもの。文字の太いところが、灰と金の品ある鶴たちの見所に重なっているようにも思えた。
ほかに印象的だったのは、まっすぐなキュウリがどれも垂直に生っていて全体的にちょっとウィリアム・モリスっぽい其一の「蔬菜群虫図」、手本の光琳のに比べ髪がふさふさして、彼が乗っている鯉も覇気があり波も「いい波が来たぜ!」というように高い「琴高仙人図」、八橋がリボンがけのような光琳「八橋蒔絵螺鈿硯箱」など。大興奮!

BRUTUS (ブルータス) 2008年 10/15号 [雑誌]

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14歳 (1) (小学館文庫)

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