会津旅行1 白虎隊自刃の地、飯盛山 さざえ堂 

福島県会津に旅行に行ってきた。1868(慶応4)年の会津戦争戊辰戦争)の際に白虎隊士が自刃した飯盛山に行き、また、飯盛山下にある、前々から行ってみたいと思っていた「さざえ堂」をついに訪れることができた。

さざえ堂は1796(寛政8)年建立(正式名称:円通三匝堂(えんつうさんそうどう))の、高さ16.5m、六角山荘のお堂。内部に二重螺旋のスロープがあり、上りの参拝客と下りの参拝客が顔を合わせることなく参拝できるようになっており、この構造は世界的にも大変珍しいもので、国の重要文化財に指定されている。
元々は正宗寺というお寺で、スロープ沿いに西国三十三観音像があったらしいが、明治に廃寺となり、神仏分離令により観音像は取り外されたとのことで、現在は皇朝二十四孝というものの絵額が飾ってある。神仏分離令の影響があった現場というものを初めて見た。

中は写真のように床に細い板を細かくはりめぐらせたスロープで、板と板の間隔が狭くてかえって躓きそうになったりもしたけれど、暗がりのなか、壁板が剥がれた隙間から洩れてくる外の光がなんとも美しかった。
あっという間に上って下りてしまうけれど、上から見たさざえ堂もまた面白い。人様の足が出ているところが出口です。
かねてから白虎隊は何で鶴ヶ城が燃えていると勘違いしたのだろうかと思っていたが、自刃の地から見る鶴ヶ城は大変小さく、もし視力が悪くて眼鏡もなく戦災の火や煙で視界が曇っていたら見間違えても仕方ないかな、と思った。白虎隊士の墓に線香をあげ手を合わせたあと、墓の近くの奇妙なものに近寄る。
それは、1928(昭和3年)にローマ市から寄贈された記念碑だった。白虎隊の武士道精神に敬意を捧げることなどが碑文に書かれているそうだ。ファシスタ党の党章、という文字も説明板にあった。この碑の円柱は、ボンベイから発掘された古代宮殿の柱らしい。「洋物」があるとは思っていなかった場所なので、インパクトが大きかった。