大岩オスカール 「夢みる世界」展

先日、東京都現代美術館に「大岩オスカール 夢みる世界」展を見に行った。大岩オスカールは1965年にブラジルに生まれ、建築や都市計画を学んだのち、絵画やインスタレーションの作品を制作してきた。サンパウロ、東京を経て、2002年からはニューヨークに活動拠点を移しているが、この先も「地球人」としてまたどこかに行ってしまうかもしれない。
http://www.oscar-oiwa-mot.com/#

「(オス)カー」つまり自分の象徴である白い車がいる、作者が住んでいた北千住の風景の絵のあと、展示室の両側の壁に幅21mにわたって展示される《クジラⅠ》《クジラⅡ》は圧巻。潜水艦とクジラの骨は、メタリックな輝きを帯びているが実はクラフトペーパーに描かれたもので、書道のような太く勢いのあるハネっぽいところは箒で塗られたらしい。箒とは思いつかなかった。《トンネルの向こうの光》も、距離感を考えた配置になっている。

'90年代前半のベニヤを使った作品も面白いが、'90年代後半から2000年代初めの作品が興味深かった。《動物園》という作品は工場の風景だが、光と陰の対比がくっきりとした歪んだ柱の連続が何かぞわぞわと心を掻き立てる。《モンキー》では電信柱の変圧器が青緑のロボット(猿)達となってかたまり、その上に、銀箔ゆえ今は茶色く変色している雪が降り、積もっている。青緑と銀と輝く茶の組み合わせに何度も目を遣ってしまう。

私「電信柱の変圧器ってわたしも子供の頃はロボットに見えてて、いつも監視されてるみたいで怖かった」
連れ「幼い頃から妄想乙」

《動物園》、《モンキー》、《お客様》、《20世紀》などは学芸員さんの親切な解説によればタイトルに対応したものが絵のなかに隠されているとのことだが、それに気づいてしまうとどうしてもその造形や比喩に目や注意がいってしまって、初めて画面を見た瞬間に惹かれた部分に集中しづらくなってしまう難点もあった。修行が足りないせいかもしれない。
先入観なしに見る力を鍛え、作者がほかにも忍び込ませているもの、作者自身すら気づいていないものにも気づけと見る者は言われているのかも知れない、とも思った。

昨年夫婦ではまっていた近未来アニメ『電脳コイル』にも通じるようなモティーフがいくつかあり、電脳コイルの作り手、例えば磯光雄はもしかしたら大岩オスカールの作品が好きかもしれない、と連れに言ってみた。
すると連れは「でもぜんぜん方向性が違うよ」と即答。しばらく考えてもわからず、どう違うの、と訊いてみると「この人(大岩オスカール)は人を描かないじゃん」と言う。
これは自分にはない視点。地球が自分と同じ人間だけでできていなくて良かったなあ、と思うのはこういう瞬間である。本当に方向性が違うのかはわからないが。

カタログの表紙である《ガーデニング(マンハッタン)》、《野良犬》、《ファイアーショップ》等、ニューヨークに行ってからの作品には皮膜や霧を隔てて都市を俯瞰し、そこに時に人の脳や爆弾にも見える花が浮いている絵や、複数の都市を画面に並列させた作品が見られたが、《ガーデニング(マンハッタン)》の黒くたなびく影より手前の建物の窓一つ一つの、明かりの加減やカーテンの引き具合までわかる描写を見るに、少なくともこの人は人間から遠ざかろうとはしていないのではないかと思った。
画面中央あたりに流れる黒い影は向こう側の景色を透かしているが、白い霧はそうでもないのも気になるところだ。

全体的に大型の作品が多く、大きさゆえに見ごたえが増す面も否定できないと思った。とにかく興奮した展覧会だった。

関連書籍については、カタログ『大岩オスカール 夢みる世界』(2008年 美術館連絡協議会発行)はコンパクトでどこへでも持って行きやすく、出品作品をすべて見ることができる良さがあり、『大岩オスカール グローバリゼイション時代の絵画』(2008年 現代企画室発行)については、印刷面での作品の再現性が良く、ドキュメンタリービデオのDVDもついているというお得感つきの良さがあると感じた。